戸田菜穂さん

何もできず、怒鳴られ続けた日々からスタートした役者人生。デビューから30年を迎えた戸田菜穂さんは、そう語ります。凛とした面持ちの彼女ですが、じつは「なにくそ」と、頑張るスポ根タイプだとか。撮影が始まれば頼れるのは自分だけ。そんな演技の緊張感ややりがいについて聞きました。 

怒られた方が発奮できるタイプなんです!

—— 芸能生活を振り返って、どんな思いがありますか?

 

戸田さん:

高校2年生のときに、ホリプロタレントスカウトキャラバンでグランプリを受賞。そのまま演劇部でも何者でもない私が17歳で広島と東京を行き来しながら、右も左も分からずデビュー。しばらくは、ドラマでも映画の現場でもよく監督に怒られましたね。

 

「こんなはずじゃなかった」とか、「期待外れだった」ってマネージャーから間接的に聞いたこともありました。デビュー間もない頃にお世話になった相米慎二監督からは、「タコ!」「はい、もう一回!」と何度怒鳴られたことか。

 

気づけば、知恵熱が出たこともありました。ダメとおっしゃるだけで、なぜかはおっしゃらない監督で、答えを教えてもらえたらなと思ったことも数えきれません。今思えば、相手を追い込む形の演出方法だと分かりますが、当時はまぁ辛かった(笑)。

 

—— デビュー早々、ハードですね。

 

戸田さん:

泣きながら撮影現場に通った日もありましたが、大先輩たちの背中を見ながら、どうにか乗り越えたように思います。たぶん皆さんが通る道でしょうし、先輩の女優さんたちも「私たちも最初は何もできなかったわよ」と、励ましてくださったのは心強かったですね。

 

また、今でも印象深いのは、当時撮影していた作品の最後に火葬場のシーンがあったんです。相米監督が私の方に近づいてきて、「また怒られる」とビクビクしていたら、「今日は良かったよ」って。

 

それまでひたすら怒られっぱなしでしたが、最後の最後でやっと褒めてくださったことが嬉しくて、いまだに忘れられない出来事です。

 

—— 精神的に大変だったことも多いと思いますが、どうやって気持ちをコントロールしたのでしょうか?

 

戸田さん:

私、こう見えて基本的にスポコン精神なんです。怒られた方が「なにくそ!」って頑張る。「今に見てろ!」って自分自身を鼓舞するタイプ。

 

それに、撮影で「よーい、スタート!」と声がかかれば、もう自分しか頼る人はいません。ある意味孤独な時間で、独特の緊張感が漂います。その感覚を「快感」と思うか、「怖さ」と思うかは人それぞれでしょう。

 

ただ、私はなにくそ精神の持ち主なので、どんな状況だろうと当然乗り越えるものだと思っていました。ひたすら前を向いて、そのときやるべきことをやっていたんだと思います。

丁寧に取材に応じる戸田菜穂さん

長塚京三さんに教えられた「役者の極意」

—— 女優生活が30年に及び、経験はかなりの価値だと思います。一方、経験があるからこそ邪魔をすることはありますか。

 

戸田さん:

ないです。ただ、私が18歳のときのドラマ撮影の現場で、長塚京三さんに「菜穂ちゃん緊張してる?」と聞かれて、「してません」と答えたことがあったんです。でも、長塚さんから「僕は緊張するよ」って言われて。え?こんな大ベテランの方でも緊張するのかと思っていました。でも、後から考えると、緊張しなさいよの意味だったのかなとは思います。

 

経験年数が長くなっても、仕事で一つずつ、緊張して現場に入って丁寧に作品づくりに関わること。改めて、そういうことは大事にしたいなと思っています。

 

—— 今後を見据えて、女優としてこんなことをやっていきたいと思うことはありますか。

 

戸田さん:

デビューしたときから息の長い女優さんになりたいと思っていました。自分の年齢が変化に伴い、演じる役も変わっていきますが、年齢に抗わずに変化を楽しみにしていきたいですね。

 

今はお母さん役が多いですが、お母さんにもいろいろあって、良妻賢母やいけないお母さん(笑)、悪妻役などなど楽しいです。その役のバックグラウンドを想像すると、その人の人生の見え方も違ってくるし、そういった心理を考えるのも好きです。情念みたいな女の役もやってみたい。まだまだ演じてみたい役がたくさんあります。

 

PROFILE  戸田菜穂さん

気さくに撮影に応じる戸田菜穂さん
1974年広島県生まれ。90年にホリプロタレントスカウトキャラバンでグランプリを受賞。91年に日本テレビ系ドラマ『五月の風 ひとりひとりの二人』で女優デビュー。以来、NHK朝の連続テレビ小説ドラマ『ええにょぼ』では主役に抜擢され、一躍全国区で有名になる。デビュー以来、多くのドラマや映画で活躍している。 

取材・構成/松永怜 撮影/坂脇卓也