2012年に亡くなった流通ジャーナリストの金子哲雄さん。友人と号泣しながらも棺や料理までみずから手配した異例の「終活」は、当時大きな話題を呼びました。しかし、すべてを段取りして旅立った夫が、あえて妻に託した「宿題」がありました。妻・稚子さんが明かす、自身の最期を完璧に演出しきった夫の覚悟と、その真意に迫ります。
戒名から祭壇に飾る花まで…みずから最期を演出し

── 独自の視点で生活情報などをわかりやすく伝え、『ホンマでっか!?TV』などの番組で活躍した流通ジャーナリストの金子哲雄さん。2011年に「肺カルチノイド(肺神経内分泌腫瘍)」という希少がんを患い、2012年10月に亡くなりました。生前、哲雄さんは病気を公表せず、最期まで仕事をまっとうするだけでなく、自分が亡くなった後の葬儀の打ち合わせまでみずから行っていたことが話題になりました。生前、哲雄さんとは死についてもお話しされたそうですね。
金子さん:亡くなる2か月前の8月、夫が一時、危篤状態になったことがあって。回復した後に「いつ、本当に死ぬと思った?」と聞いたことがあるんです。夫は「7月に肺炎になったときから。全然治らないから、無理かもしれないと思った」と言いました。だからなのでしょう。そのころから友人の弁護士を呼んで公正証書遺言を作り始めていました。
遺言書の作成を友人に頼んでいるとき、「本当に死ぬのか?」「死ぬんだよ」と、男同士で泣きながら話をしていた姿を覚えています。
その後、戒名を決め、お墓を手配し、葬儀会社と打ち合わせをして遺影、死装束、棺桶、弔問客に振る舞う料理など、事細かに決めていきました。とくに、弔問客に振る舞う料理については、相当なこだわりがありました。さらには会葬礼状まで用意。亡くなる前夜、葬儀会社の方を自宅に呼び「僕はたぶんこれで終わりだから妻をよろしくお願いします」と託し、マネジャーにも最後の挨拶をした後、「もう眠るよ」と眠りにつき、そのまま息を引き取りました。最期まで自分の人生をプロデュースし、満足したのかもしれません。とても穏やかな死に顔でした。
── 哲雄さんがとった行動によって「終活」という言葉が世間でも幅広く知られるようになりました。
金子さん:そうですね。同時に死のイメージや死生観まで変えるきっかけになったのではないかと思います。死が怖い、死んだらすべてなくなってしまう。そんなふうに考える人も少なくないと思いますが、私は違います。終活とは、その後を生き続ける人への引き継ぎなんだと思いました。
ただ、当時の私は夫がしたことに「終活」という言葉が浮かばないほど、ピンときていませんでした。現実を受け止めきれていなかったのか、淡々と準備を進めていく様子を「仕事の延長」のような感じで見ていました。でも、どんどん終活を進める夫を見ながら、改めて強い人だなと思いましたし、ああ、終活とは「死の準備」などではないんだ、と理解していったんです。