「山に埋められた」という壮絶な被害を経験してきたピン芸人・チャンス大城さん。重度のアトピーを理由に幼少期から過酷ないじめに晒されてきた彼を救い、芸人の道へ導いたのは「お笑い」と松本人志さんの存在でした。絶望の中で光となったお笑いの力と、波乱に満ちた壮絶な半生を語ります。

包帯姿を「ミイラマン」と呼ばれた小学生時代

チャンス大城
形態模写が得意な大城さん

── 小規模なライブハウスなどで「地下芸人」と活動を続け、2017年に『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』での優勝を機にブレイクを果たしたチャンス大城さん。高校時代には「不良グループに六甲山へ連れて行かれて首まで埋められた」という、にわかには信じがたい経験をテレビ番組などでたびたび語ってきました。

 

ただ実際は高校時代だけでなく、小学生のころから長くいじめを受けていたそうですね。

 

大城さん:重度のアトピー性皮膚炎で、顔に包帯を巻いて学校へ行っていたんですが、その姿から「ミイラマン」というあだ名をつけられました。掃除道具を入れるロッカーに押し込まれ、「4000年の眠りから覚めたミイラをやれ」と言われるんです。ロッカーから出て、みんなを追いかける役をやらされていました。

 

中学校になると、いじめはもっとひどくなりました。氷の張ったプールに落とされたり、万引きをさせられたり。放送室で「校長のアホ」と言わされたこともあります。

 

── 事情を知らない先生から見れば、大城さんが問題を起こしたことになります。断ったり、「やらされた」と説明できなかったのでしょうか。

 

大城さん:言われたことを断っただけで5、6人にのしかかられてボコボコにされるんです。先生に正直に話したら、それこそ何をされるかわからない。だから大人には「はい、すみませんでした」と謝るだけでした。異変を感じ取って声をかけてくれるような大人も、当時はいませんでした。

学校へ行くふりをして、農機具小屋に隠れた

── 激しいいじめによって学校に行けなくなり、田んぼの中にある農機具小屋で1日を過ごしたこともあったそうですね。

 

大城さん:「行ってきます」と家族に告げて、そのまま近所の農機具小屋に隠れて。トラクターの横で「しんどいな。早く大人になりたいな」と、ただそれだけを願いながら、時間が過ぎるのをひたすら待っていました。

 

でも、学校を休んだことが母にバレて「何あんた、学校サボって!」と、どつかれてしまって。学校へ行けばいじめられる。行かなければ家で怒られる。完全に板挟みで、逃げ場がありませんでした。

 

── お母さんに「いじめられているから行けない」とは、言えなかったのでしょうか。

 

大城さん:言えばよかったんですけど、親を心配させたくなかったんです。殴られた跡を見られても「けんかをした」と言っていました。「いじめられている」と相談する発想自体が、当時の僕にはありませんでした。

「面白いやつはいじめられへん」を信じてテレビへ

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現在も交流がる中学校の同級生と海岸の砂でつくった壮大な作品と

── 壮絶ないじめが続く日々でしたが、中学生のころ、当時関西地方で人気だったダウンタウンのテレビ番組『4時ですよ〜だ』の素人参加コーナーに出場したのを機に、状況は少し好転していきます。

 

大城さん:テレビ番組で松本人志さんが「勉強できるやつ、面白いやつ、スポーツできるやつはいじめられへん」と話していたんです。「ほんまかな」と思ったのですが、小学5年生のクラス会で、初めて人前でF1カーのモノマネをやったら、ドカーンとウケたときのことを思い出して。思いきってオーディションを受けたら、番組で優勝することができたんです。

 

──  一躍ヒーローになりそうな出来事ですよね。

 

大城さん:それでも不良グループに優勝商品のゲーム機を取り上げられるなど、いじめがなくなったわけではありませんでした。ただ、いじめられる頻度は半分くらいには減りましたね。上級生からは人気があって、休み時間になると3年生の教室を1組、2組、3組と回って、みんなを笑わせていたんです。昼休みの営業みたいな感じですね。

 

── いじめの被害を受けながらも、人を笑わせることが得意というのは、一見相反する状況にも見えます。

 

大城さん:お笑いをやっている間は、いじめられていることを忘れられたんです。実際、中学1年ぐらいのころはいじめがえげつない日々で「毎日が面白くない」と思っていました。そんなとき、お笑いに夢中になる忘れられない出来事があって。

 

── 忘れられない出来事?

 

大城さん:母にうめだ花月へ連れて行ってもらったんです。いろんな芸人さんの漫才やよしもと新喜劇、池乃めだかさんや間寛平さんの絡みを舞台で観て、体に電気が走るような衝撃を受けました。

 

翌朝、風呂に入っていたら、窓から差し込んだ太陽で湯気がブワーッと光ったように見えて、そのとき「あ、芸人になろう」と思いました。目標が見えて、自分のなかに光が差したような感じでした。お笑い芸人を夢見てネタを考えているあいだは、いじめなんてどうでもよくなったんです。

 

──「芸人になる」という夢が、いじめられているなかでの支えになったのですね。

 

大城さん:はい。それに、やってはいけないことなのですが、松本人志さんが好きすぎて、実家まで行って「松本」と書かれた表札を持ち帰ったことがあって。その表札をお守りにして「俺には松本人志がついているん」とも思っていました。それくらい、お笑いと松本さんの存在に支えられていたんです。

恐怖は笑いと紙一重だった

── ところが高校生になってもいじめや暴力はなくなるどころか、さらに危険なものになります。六甲山に生き埋めにされた話は、テレビ番組などでも大きな反響を呼びました。

 

大城さん:高校の定時制に通いながら、昼間は土木関係の仕事をしていました。そこで知り合った先輩たちに「俺たちに会ったら、いつでも金を出す」という誓約書を書かされていました。判子を持っていなかったので、血判まで押させられて。友人2人と僕の3人が、そのグループから逃げられない状態になっていたんです。

 

あるとき、グループの1人に僕の原チャリを奪われたのですが、盗難届を出したところ、逆恨みされて夜の六甲山に生き埋めにされました。翌朝、たまたま通りかかった人に助けられたので難を逃れたんですが…。

 

── 死を覚悟するような壮絶な出来事です。

 

大城さん:六甲山に埋められる前にも、同じグループからひどい目に遭わされた出来事がありました。あるとき、僕と友人2人の3人で、尼崎の港にある採石場へ連れて行かれたんです。

 

そこには石を積んだ山がいくつもあり、友人のひとりがそのうちのひとつに首まで埋められました。僕ともうひとりは「後ろから見ていろ」と立たされました。

 

するとショベルカーが、友人が埋められた石の山を少しずつ潰していくんです。ガタガタと音を立てながら、友人まで近づいてくる。最後は重機の先端が、友人の頭のすぐ横まで来ました。友人は「何でもします。助けてください!」と叫んでいました。

 

── そのときはどのように助かったのですか?

 

大城さん:突然、暗い港のどこからか赤ちゃんの泣き声のようなものが聞こえたんです。そんな場所に赤ちゃんがいるはずがない。グループの人たちも不気味に思ったのか、その場を離れたので助かりました。

 

── 高校生が経験するには壮絶過ぎる体験です。

 

大城さん:死を覚悟した経験だったので、トラウマになって、長い間恨みしかありませんでした。ところが27年ほどたって千原兄弟のトークライブで話したら、千原ジュニアさんが立てないくらい笑ってくれたんです。まさか笑い話になるとは思いませんでした。「恐怖って笑いって紙一重なんだな」って思いましたね。

いじめ告発で世の中ひっくり返ればいいけれど

── 大城さんの壮絶体験を知った人たちから、メッセージをもらうこともあるそうですね。

 

大城さん:いじめられている子からですね。SNSで「チャンスさんを見て勇気をもらいました」と。離婚後に追い詰められていたという女性から、「チャンスさんが山に埋められた話を見て、思い詰めるのをやめました」と手紙をもらったこともあります。

 

── そうした反応は、いじめ被害について今も発信している動機にもつながっていますか?

 

大城さん:そうですね。自分が話すことで、誰かを勇気づけられたらいいなとは思っています。本当は先生に「俺、いじめられてんねんけど」とひと言伝えたら、状況がひっくり返る世の中になればいい。でも、子どもにとっては、そのひと言がなかなか言えないんですよね。僕も言えませんでしたから。

 

でも、僕はお笑いに救われて、情けないことでも、笑いに変えられる世界があることを知りました。ダウンタウンさんや新喜劇のみんなに僕が支えられてきたように、救われたぶんを返していきたいという思いもあります。

 

取材・文:石野志帆 写真:チャンス大城