80年代にブームを巻き起こしたアパレルブランド「SAILORS(セーラーズ)」のデザイナー兼社長として、現在も活躍する三浦静加さん(73)。事業を成功させる一方、プライベートでは46歳で出産した脳性まひの娘さんと、認知症を患う90代のお母さんとの3人暮らし。自身も過労などで救急搬送されたことも。「前進を選ばない選択肢はない」と明かす生き様に迫ります。
母と娘の介護で過労して「救急搬送されたことも」

── アパレルブランド・セーラーズの会社運営のかたわら、プライベートでは認知症のお母さまと、ハンディキャップのある娘さんのお世話もされているとのこと。現在はどのような毎日を過ごしているのでしょうか?
三浦さん:脳性まひの娘が施設へ通っていて、週に4日、私も同行しています。バスで通い、リハビリや食事の補助、外気浴、室内アクティビティなどに付き添っています。認知症の母は週に2回デイサービスへ通っています。私が娘に同行しているときは、母を家でひとりにさせられないので、ヘルパーさんを頼み、誰かがそばにいるようにしています。高齢ですからトイレの補助も必要ですし、階段の移動も転倒しないように付き添わなければなりません。
母の認知症はお金を盗られないかという不安や、家の鍵がかかっているかという心配から症状が現れ始めました。脚が悪いので徘徊の心配はないのですが、認知症が進んで、「電気を消す」「ごみを捨てる」といった当たり前のことを忘れてしまう。そこで、家での生活のルールをスケッチブックに書いて教えたりしています。
1日中、私のことを探して大きな声で呼ぶので、疲弊してしまうことも。母が深夜に起き出して、娘を起こしてしまったり、それぞれの生活リズムを崩したり、どちらのことにも十分に対応ができない場面も増えてきました。そんななか、娘が入院したり、片方の目の視力を失ったりという試練もありました。今年の4月には母が家の中で転倒して骨折。息をつく間もなく、次々といろいろなことが起こります。私も以前の体力なら何とかなったことも、年を重ねていますから、「簡単にはいかなくなってきたな」と実感することもあります。
── ご心配が尽きませんね。おひとりですべてをこなすのは、決して簡単ではないと思います。どのような気持ちで日々を過ごしていますか?
三浦さん:「それが日常」と、割りきるしかないですよね。私も人間ですから、母にストレスを感じることがあります。私に向かって「くそばばあ」と呼んでくるんですよ。そんなときは遠慮せずに、「くそくそばばあ!」と言い返すことも(笑)。でも、笑いながら言うと、母も笑うんですよ。真剣に言い返すほど、争いが生まれ余計に悪化する。同じ1日なら、笑うほうがいいに決まっていますから。そういう考えで過ごすようにしています。
今、私は73歳で、体力も年相応なのだろうとは思います。でも、彼女たちをひとりで見ながら仕事をするのは正直、大変です。それでも、やっていかなければしかたない。前に進むしかないんです。「前進を選ばない選択肢」がないんですよ。
自分の健康にかまうこともできず、精いっぱいで、過労で倒れて救急搬送されたこともありました。でも、ハンディキャップを持っている子を産んだのも私です。親(私)亡き後というのは、つねにつきまとう課題。悲観している間もありませんから、どうにかしないといけないと、奮起するしかないんですよね。
「娘のために」73歳で銀行から借金をしてまで
── そんな状況のなか、新たに銀行から借り入れをして、挑戦しようと考えていることがあるそうですね。
三浦さん:今考えているのは、現在の家を建て替えて、1Fをリハビリに特化したデイサービスや、地域の方とお茶ができるようなコミュニティスペースにすること。2Fをシェアハウスにして、ハンディキャップを持っている方や健常者の若い方、看護師さん、高齢者の方などが入居できる場所にして、3Fを自宅にできないだろうか、と思っているんです。
私が亡くなった後、娘の居場所を作りたいというのが理由です。娘がひとりになったときを考えて、ケアをする人が自宅にいる仕組みができたらと思ったのがきっかけですが、同時に、入居している方たちにとってもメリットのある場所として機能して、協力して笑顔で生活できる場所ができたらいいなと。
── 73歳で新たな借り入れをして、家そのものを変えようとするのは、とても大きな挑戦ですね。
三浦さん:目の前の課題から逃げずに挑戦する生き方は、セーラーズの経営哲学に通じるところもあります。「誰かを笑顔にしたい」思いも同じです。セーラーズのブランドコンセプトは「1つでも多く笑顔がふえたらいいな」ですから。だから、プライベートの人生でも、それを貫きたいんですよね。
大事なのは「チャンスとタイミングとフットワーク」

── 三浦さんはこれまで、セーラーズというブランドを一代で築き上げてこられました。その経営哲学には三浦さんの生き方にも通じるものがありそうですね。三浦さんはこれまでに国士舘大学で非常勤講師として起業家教育の講義をされたこともあるそうですが、どんなことを伝えてきたのですか?
三浦さん:若者から「お金を稼ぎたいけど、どうしたらいいですか?」と聞かれることがよくあります。私が経験して伝えたいのは、チャンスとタイミングとフットワークのよさ、まさに決断力の問われる「丁半の世界」です。これに尽きます。実は誰にでも同じようにチャンスは巡ってきます。ただ、タイミングが合わなかったりすることもある。でも、迷ったら負けです。とくに仕事では、私はそれを大事にしてきました。人はやはり、大きなリスクを恐れて保守的になりがちですが、それでチャンスを逃すことは多いと思います。どの道、未来のことはわからないんだから、自分を信じるしかないんです。
そしてお金が欲しいなら、お金が動く戦場に出て、戦士にならないと何も始まりません。何も動かなければ、お金も物事も動きませんから。私はそういう感覚を、経験のなかで自然と身につけていきました。また、誰もがやっていることをまねても、ダメだということ。人と違った目線を持つことも大事です。同じことをしていては超えられません。
私が小さいときに描いた絵は、どこかほかの子と違っていました。たとえば、七夕飾りの笹の絵に、目のついた栗やにんじんがぶら下がっていたり(笑)。常識にとらわれないものの見方をするところが、昔からあったように思います。
── 三浦さんが、73歳になった今も仕事にプライベートにと挑戦を続けている理由が少しわかった気がします。
三浦さん:家族のことも仕事のことも、令和の時代にはアナログと言われるかもしれませんが、PCなどを使った机上のやりとりだけでは解決できないこともあります。73歳になった今も、私はちゃんと対面して会話して、自分の足で動いて、これからのことをつねに考えるようにしているんです。
チャンスとタイミングとフットワークですよ。私の人生のキーワードです。「あのとき、こうしておけばよかった」と後悔するのが一番ダメですね。精いっぱいやったら、失敗しても「しょうがないか」と思えます。だから、恐れずに動く。停滞していては解決できませんから。つねにいくつか選択肢を考えて、その中で優先順位をつけるようにして動く。そういう意味で、家を建て替えるという新たな挑戦は今の私にとって最優先事項なんです。
取材・文:加藤文惠 写真:三浦静加