骨が弱く骨折を繰り返す先天性の指定難病・骨形成不全症で生まれてきた秋山大輝さんの母・伴子さん。息子の病名を知ったのは、出産から1週間後。最初は誰の話をしているのか、まったく理解が追いつかなかったそう。わが子の話と思い知った瞬間、「目の前と頭の中が真っ白になった」といいます。

念願の第1子が指定難病「目の前が真っ白に」

── 大輝さんをご出産された当時はどのような状況だったのですか。

 

伴子さん:私たち夫婦がずっと待ち望んでいた第1子が大輝でした。逆子だった以外は気になることはなく37週目を迎えたとき、夜中に急に破水して。すぐ病院に向かい、帝王切開で出産しました。

 

出産直後に、担当医から「赤ちゃんの股関節の状態を調べます」と言われて、大輝は大学病院に搬送されました。私はすぐ戻ってくるだろうと待っていたのですが、なかなか戻ってきてくれなくて…。出産から1週間後、術後の抜糸の後に、担当医から聞いた病名は骨形成不全症でした。

 

でも、私は何の話をしているのか全然わからなくて、「誰の話ですか?」って聞いたんです。そうしたら、担当医から、わが子が骨形成不全症だと聞きました。

 

当時、私は医療事務の仕事をしていたので、病院でいろいろな難病の病名は見聞きしていたのですが、その病名は初めて聞きました。そのときは、どうしても受けとめられず、担当医が症状の説明をしてくれていたようですが、当時のことはほとんど覚えていません。

 

覚えているのは、わが子が大きな病気だということがわかり、目の前も頭の中も真っ白になったことだけです。「呆然とする」という状態を経験したのは、人生であのときだけ。ただただ、涙がとまりませんでした。

 

── 旦那さんはどうされていたのでしょうか。

 

伴子さん:夫は、出産直後に、病気について担当医から説明を受けていたようです。骨形成不全症の必要な手続きなどをすべてひとりで済ませてくれていました。あとで聞いたのですが、産後すぐの私に病名を伝えると大きなショックを受けるだろうと考えて、産科の担当医と話し合ったうえで抜糸まで伝えなかったそうです。

 

夫は、私の代わりに大輝が入院している大学病院に毎日足を運んでくれました。保育器に入った大輝の写真を撮影し、産院に入院中だった私に見せながら、「名前は、大きく輝いてほしいという想いを込めて、大輝にしようか」と提案してくれました。私も、すごくいいなと思って、名前を大輝に決めました。

友だちのメールで「不思議なほど気持ちが軽く」

秋山大輝
生後4か月の大輝さん。あどけない表情にこちらまで笑顔に

── 大輝さんの病名を知った後、伴子さんはどんなふうに過ごしていたのでしょうか。

 

伴子さん:私は退院するまでの2週間、大輝のいない産院で過ごしていたのですが、ひとり何をすることもなく、大輝のことばかり考えていました。周りを見ると、同じ時期に出産したお母さんたちは母子同室で、お母さんが赤ちゃんを抱っこする姿がどうしても目に入ります。それと比べて何もできない自分がもどかしく、泣いていました。

 

そんなとき、友達からメールが届いたんです。そこには「あなたと旦那さんの子どもだったら大丈夫。きっと、神さまがそう授けてくださったんだよ」と書かれていました。そのメールを見たとき、不思議なほど気持ちが軽くなるのを感じたんです。そして「今は大輝と一緒にいられないけれど、大輝は大学病院で頑張って治療を受けている。私は今はちゃんと寝て、食事もちゃんと取らなくちゃ」と思えました。

 

それ以来「大輝と会えたとき、しっかり抱っこできるように体力をつけよう」と気持ちを切り替えることができ、自分の体を労ることを最優先にできるようになりました。傷口が痛いときには夜中でも看護師さんをすぐに呼んで薬をもらい、痛みをやわらげることで、眠れるようにもなったし、しっかり食事もとれるようになったんです。