「耐えるのが美徳だと思い込んでいたんです」。21歳で結婚し、夫の両親と同居を始めた宮田みゆきさんを待っていたのは、義母からの厳しいしつけでした。28年間積もり積もっていく感情。その思いが弾けたのは、意外にも49歳で始めた筋トレでした。

両親の事業が傾き「私の人生、狂ってしまった」

宮田みゆき
40代の宮田さん(右)当時が史上いちばん「色白ぽっちゃり」だったそう

── 主婦だった宮田さんは49歳から筋トレを始め、4か月後のデビュー戦「東京オープンボディビル選手権大会」で優勝。その後も数々の実績をあげられていますが、当初筋トレに励んだモチベーションは、意外なものだったそうですね。まずはトレーニングを始める前のお話から伺えますか。もともと体を鍛えるのが好きだったのですか?

 

宮田さん:体を動かすのは好きでしたが、主婦時代の体型はぽっちゃりしてましたね。色白で(笑)。当時は、夫の実家の仕事を手伝いながらふたりの息子を育てるのに精いっぱいで、自分のために時間を費やすことは考えられませんでした。息子たちは元気を通り越して、学校から電話がかかってくることもありましたし…。30代、40代は日々に追われて、トレーニングなんて頭にもありませんでした。

 

学生時代は、体育教師になるのが夢だったんです。でも、高校を卒業するころ、両親の事業がうまくいかなくなり、合格した体育大学に行けなくなってしまったんです。友達はみんな進学か就職が決まっているのに、私は行くところがなくて。「私の人生、狂ってしまった」と思いました。

 

就職課に相談しましたが、もう3月で募集はほとんどない。なんとか採用されたのが、百貨店の食品売り場で昆布やワカメを販売する仕事でした。「体育教師になるはずが、なんで毎日ワカメを売っているんだろう」と思っていました。そんなとき、たまたま新聞広告で、スポーツクラブのインストラクターを募集している記事を目にして、「これだ!」と思ったんです。

 

オーディションを受けて合格し、スポーツクラブの社員になりました。私は新潟出身ですが、埼玉にオープンする店に配属されて。そこに上司として配属されたのが、今の夫です。ふたりでアルバイトの採用からスタッフの育成まで、力を合わせているうちに、つき合うことになりました。結婚したのは、私が21歳、夫が25歳のときです。私は社員を辞めて週1回のアルバイトに転向し、夫の両親との同居生活が始まりました。

同居した義母の厳しさも「耐えるのが美徳」と

── 二世帯住宅ではなくて、完全同居ですか?

 

宮田さん:そうです。若かったこともあって無知で、義理の両親と同居するというのがどういうことなのか、わかっていなかったんですよね。そこから大変な生活が始まりました。

 

義母に一緒に台所に立って料理を教えてもらうのですが、「こんなに何もできないなんて」と言われたり、コーヒーを入れれば「まずい」と言われたり。誰かに自分を否定されるという経験をせずに生きてきたので、衝撃でした。

 

── 誰かに相談はしなかったのですか。

 

宮田さん:もちろん、夫に「こんなことを言われた」と話しました。でも、そうすると翌日、「注意したことを毎回わざわざ伝えているの?」と言われるので、「夫には言えない、もう我慢するしかない」と思ってしまいました。

 

今振り返ると間違っていましたが、「耐えることが美徳」だと思い込んでいたんですよね。「嫁姑ってこういうものなんだ」と。大ごとになるのが嫌で、実家の両親にも話せませんでした。あの頃は、「神さまは絶対にいるから、まっとうに生きていたら、いつかきっと報われる」と自分に何度も言い聞かせて、耐えていました。

 

今、パーソナルトレーナーをしていて、トレーニングだけでなく、メンタリティの部分でもサポートができるのは、自分自身がいろいろな経験をしてきたおかげかなと思っています。クライアントさんが、つらいことがあってトレーニングにならないときは、「じゃあ、今日はトレーニングはやめて、お話ししましょうか」ということもあります。心が整わなかったら、幸せではないですからね。

 

──「美徳」と信じて耐え忍んだ日々のなかで、宮田さんの支えになったのは何だったのでしょう?

 

宮田さん:なんでしょうね。どうやって乗り越えていたのか、自分でも当時の自分に聞きたいくらいです。24歳と27歳のときに子どもが産まれて、両親が営む不動産業を夫と一緒に手伝うことになって。義母にとにかく認めてもらいたい一心で、宅地建物取引士の勉強をして資格を取りました。そのうち夫が居酒屋を始めて、その手伝いもしていました。毎日とにかく忙しくて、ただもうがむしゃらに、必死だったんですよね。友達とランチへ行く時間なんてなかったから、家族以外の人とのつながりもなくて。出かけるときも家族全員が一緒だったので、相談する相手もいませんでした。

 

忙しく働いていたので、子どもたちに目を向けてあげる時間は少なかったと思います。寂しさのあまり、息子たちの反抗期が激しかった時期もありました。振り返ると、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

 

── おふたりは、どんなお子さんだったのですか。

 

宮田さん:ふたりとも、タイプは違いますが体を動かすことが大好きで、じっとしていられない子どもでした。長男は、どんなことがあっても学校へ行きたいタイプ。たとえば、インフルエンザで登校してはいけないのに学校へ行っちゃって、用具入れのロッカーの中に隠れている。校内放送で「宮田くん、出てきなさい」と先生に言われても出てこないから、「お母さん、迎えに来てください」と学校から電話がかかってきました。次男は反対に、「学校に来ていないんですけど」と電話がかかってきました。

 

当然、義母からは「あなたのしつけがなっていないから、おとなしくできないんじゃないの?」と言われました。どこにも逃げ場がなかったですね。私がイライラして怒るから、息子たちは余計に反抗して。家庭内のもめごとが多い時期がありました。

 

プチ家出は何度もしましたね。行くあてもなく、とにかく子どもたちを車に乗せて、家を出て。でも長男が「お母さん、明日学校行きたい」って言うんですよ、学校が好きだから。「子どもを振り回すことはできないな」と思って家に戻ると、「どこへ行ってたの?」と義母にまた言われる。そんなことの繰り返しでした。