直面した日米・法制度の違い

── ちなみに、50代を超えて出産したことで、予想外のこともあったと伺いました。

 

いとうさん:出産してニューヨークの日本の領事館に出産届けを出すんですけど。50代以上の出産はかなりレアなので、後から妊娠がわかるような追加書類の提出が求められました。たとえばエコー写真や保険の支払い書など、自分の妊娠を証明するような書類ですね。長女の場合は私が産んでいますし、日本の戸籍に反映されるまで半月ほど掛かりましたが、結果的にアメリカと日本2つの国籍を取ることができました。

 

しかし、次女は代理母が出産しているので手続きがかなり大変でした。アメリカの出生届は代理母を記載するところがないので、たとえ代理母が産んでも、私が母、夫が父と書いてあるので、日本の領事館に何も言わずにそれを提出すればそのまま通るかもしれません。でもうちの場合は、長女と次女が1か月しか誕生日が変わらないので、同じ母親からそんな短期間で生まれたらおかしいと。結果的に次女はアメリカの国籍は取れましたが、日本では国籍取得どころか、自分の子どもとして戸籍に入れることすら認められませんでした。家庭裁判所に申し立てた結果、戸籍には入りましたが、実子ではなく特別養子縁組という形になっています。

 

── 長女も次女も母親はいとうさんですが、長女は実子としてアメリカ、日本の国籍を取得し、次女はアメリカ国籍のみ、日本では養子縁組ということですよね。

 

いとうさん:そうです。長女と次女、どちらのお腹から出てきたかで人生が大きく変わってしまうのはおかしいですよね。親としては平等にしてあげたい。姉妹で差が出るのは娘たちにとってもかわいそうですし。そこで、次女を戸籍に入れるべく、日本に帰って区を相手取り民事裁判手続きを進めました。でも、裁判を起こしている間は国から出られないので、夫はアメリカで仕事をして、私は娘たち2人と日本に半年間滞在しました。裁判が終わってから子どもたちを連れてニューヨークに戻り、やっと家族4人の生活が始まりました。

 

長女はある時期がきたらアメリカか日本のどちらかの国籍を選べますが、次女は今はアメリカ国籍しかありません。これは意外な盲点だったのですが、戸籍に入ったら自動的に国籍が取れるわけではなかったのです。ひとりは選択肢があって、もうひとりはないのも何か違う気がします。帰化するには日本に1年以上住んで、さらに裁判をして、となるのでこの先も乗り越えるべきハードルはありそうです。

今まで乗り越えてきた家族の経験を糧にして

── 現在、3歳になった娘さんたちの子育てはいかがですか?

 

いとうさん:すごく楽しいです。何事もチャレンジすることは楽しいし、オムツを変えるのも楽しいです。私が長女を出産し、次女にも母乳をあげることができたのもよかったです。

 

常に寄り添ってくれた夫にもとても感謝しています。夫はいつも穏やかな人ですし、不妊治療で大変なときもいつも一緒にいてくれました。また、夫の精管に問題があると指摘されたときは、血を見るだけで貧血で倒れてしまうような夫が、迷うことなく自分から手術を受けてくれました。我が家はこれからも乗り越えるべき課題があるかもしれません。それでも、今までたくさんのことを乗り越えてきた私たちなので、これからも前に進んでいけそうな気がします。

 

また、50代の出産になるため、子どもの将来について経済的サポート、精神的サポートについてはこう考えています。

 

まず、経済的サポートに関しては、私たち両親がいなくなったとしても十分に生活できる資金を蓄えるようにしています。子どもたち名義で株を購入したり、学資保険に入ったりしています。

 

精神的サポートについては、幸い、姉妹がいたのはよかったと思っています。また、私たちは、従姉妹を含む親戚や私の友人、ご近所とも家族ぐるみで頻繁に会って、絆を繋いでいます。子どもたちは両親だけで育てるものでなく、コミュニティで育てるものだと思っています。両親とは特別な繋がりがあるとは思いますが、子どもたちには、家族という枠を狭めず、コミュニティの中でのびのびとたくさんの人と関わりながら生きていってほしいです。

 

ペットがいるのもいいですね。もしかしたら、私たち家族の中で一番先に旅立つのは愛犬のちびかもしれませんが、その死を通して、家族を失うことの覚悟を学べるかもしれません。

 

いつお別れが来るかは誰にもわかりません。だからこそ、余計なことを考えず、できるだけ一緒の時間を確保して、一瞬一瞬の思い出を大切にしています。一緒にいられる時間が短いならば、せめてその時間を濃厚に過ごそうと思っています。

 

取材・文:松永怜 写真:いとうゆき