「悲しみの沼にいることは私自身、好きではないんです」。40代から不妊治療を始めるも、3度の流産などを経験。同世代の妊娠報告に「私は何かが違うのだろうか?」と葛藤したいとうゆきさん。複雑な感情を抱きながら、それでも次のステップへ歩み出すまでの当時の思いを伺いました。
「腰が抜ける」ってこういうこと?

── 52歳で第1子を出産し、現在は2人の娘の母になったといういとうさん。しかし、40代から始めた不妊治療では3度の流産を経験するなど、心身ともにつらい思いをされたそうですね。もともと妊娠や出産についてどう考えていましたか?
いとうさん:私は29歳のときに1回目の結婚をしています。相手の方は子どもを望んでいましたが、私はそこまで強く望んでいませんでした。「子どもはいてもいなくてもいい。欲しくなったらすぐにできるだろう」と思っていたんです。
その後、夫婦関係が悪くなって離婚。今の夫と結婚したのは私が40歳のときです。夫は友人の紹介で知り合った中国系のインドネシア人で、私より6歳年下でした。結婚前に子どもの話はでなかったものの、自分の年齢を考えるとこのままではまずいと思い、結婚と同時に妊活をはじめました。
── 40歳からの妊活、その後の状況はいかがでしたか?
いとうさん:妊活をはじめて早々に自然妊娠したので「なんだ、すぐにできるじゃない」と思ったんです。しばらく経過も順調でしたし、特に心配もしていませんでした。でも、ある日、仕事中に突然、出血して急いでクリニックに行ったんです。そのときはまだ、お腹の子の心拍が確認できていましたが、経過観察のため緊急入院になりました。
でも、夫が駆けつけてくれた後、医師から「心拍が止まっています。稽留流産(赤ちゃんがお腹の中で亡くなっているにもかかわらず、出血や腹痛などの自覚症状が全くない状態)です」と告げられました。あまりに突然のことでショックと驚きが大きくて。「腰が抜ける」という言葉は聞いたことはありましたが、このとき初めて身を持って体験しました。
ふと、夫の鞄を見ると、私がよく聴いていた胎教CDが入っているのが見えました。私を励まし、お腹の子が少しでもいい状態になるように持ってきてくれたんだと思います。「でも、そのCDを聴かせることなくお腹の子はいなくなってしまったんだ」と思うと、悲しさが込み上げてきました。
── それはつらかったですね。
いとうさん:はい。でもその後は気持ちを切り替えて。夫の仕事の都合でアメリカで暮らすことになり、現地で本格的に不妊治療を始めました。40代という年齢も考えて、治療も早い段階で体外受精に切り替えました。
私は30代の頃にニューヨークに留学していた時期があって、そのときに卵子凍結をしていたんです。将来を考えてというよりも、当時、貧乏学生だったのでわりのいいバイトを探していたら、たまたまフリーペーパーで卵子提供のバイト募集があったので応募しました。バイトの審査には落ちてしまいましたが、担当者から「将来を考えて卵子凍結をしておいたほうがいい」と言われたんです。あまり深いことを考えずに卵子凍結をして、ずっと保存されたまま残っていました。
このため、私が40代になって体外受精をはじめたときに、2種類の受精卵を保存することになりました。ひとつは、30代で凍結卵子しておいたものと夫の精子を合わせて受精卵を作ったもの。もうひとつは、40歳を過ぎてから新たに採卵して受精卵を作って保存したものです。
この受精卵を使って長い間、不妊治療をしましたが、妊娠にはなかなか至らなかったですね。2回目に妊娠したのは48歳のときでした。