19歳でプロ雀士となり、麻雀店で店長も経験。テレビ対局などで活躍するも、キャリアを捨てて八丈島へと移住した松岡千晶さん。順調に見えた20代のキャリアの裏側で、松岡さんは徐々に「このままでは続かない」と感じ始めていたといいます。仕事中心だった生活から、なぜまったく異なる人生を選ぶことになったのでしょうか。

「真っ黒な予定表」こそが自分の価値だった

松岡千晶
麻雀店の店長時代。スタッフとコスプレすることもあったそう

── 19歳でプロ雀士となり、20代では多いときで月収が80万円ほどもあったそうですね。当時はどんな働き方をされていたのですか?

 

松岡さん:麻雀プロ時代は、対局のほか、麻雀店にゲストとして呼んでもらい、お客さんと一緒に麻雀を打つ仕事が多かったです。私はそれに加えて、24歳くらいから麻雀店の店長もしていました。スタッフ教育やシフト作りなども担当していました。

 

お店が神田にあったので、すぐ通えるように家も近所に家賃15万円の1Kのマンションを借りていて。「スタッフが来ないから代わりに出てほしい」と電話が来ることがしょっちゅうあったんです。休日でも、気持ちとしては休めていない状態でした。

 

── 仕事が多いことは、当時の松岡さんにとってどんな意味を持っていたのでしょう?

 

松岡さん:収入はもちろん大事でしたが、仕事がたくさん入っていること自体に、自分の価値を見出していたように思います。だから当時は、スケジュール帳をどれだけ仕事で埋められるかをすごく意識していました。空いてる日があると「ここにも仕事を入れなきゃ」と思っていました。

 

── でもプロになった当初から、仕事は順調だったのですよね?

 

松岡さん:そうですね。19歳のときに日本プロ麻雀連盟に所属したのですが、ほかのプロよりもテレビ対局やゲーム関係の仕事をいただく機会が多かったんです。SNSを見て麻雀店まで会いに来てくれるファンの方もいて、「自分は人気があるのかもしれない」「順調だな」という感覚はたしかにありました。

 

── しかし、20代半ばごろから次第に将来への不安も感じるようになったと。

 

松岡さん:私がプロになったころは、まだ女流プロ自体がそれほど多くなくて。「若い女性」というだけで注目してもらえました。でも女流プロが次第に増えていき、5年ほど経つとタレントさんのような華のある方が入ってくるように。それを見て「このままだと私自身の仕事はなくなるな」と思い始めました。

 

それで20代半ばくらいから、タレントのように表に出る仕事だけではなく、裏方の仕事もできるようにならなければと思ったんです。店長を始めたのもその頃でした。

 

── 最近は「美女雀士」と紹介されることもありますが、ご自身ではルックスを武器にしていた感覚はなかったのでしょうか?

 

松岡さん:美女雀士って、当時は一度も言われたことがないんです(笑)。最近のインタビュー記事のタイトルなどで使っていただいているだけで。むしろプロ雀士には美人でスタイルのいい人が多いので、私は自分の見た目に劣等感がありました。だから愛嬌よくしようと頑張ったり、「何でも仕事を受けます」という姿勢でいたり。頑張りすぎたようにも思います。

心身の異変を感じるも、頭は冷静だった

── その後、コロナ禍に。次第に心身が大きく落ち込んでいったそうですね。

 

松岡さん:少しずつ何をするにもやる気がなくなっていきました。家の中は物が散らかって踏み場もなくなり、お風呂にも入れなくなりました。夜は電気を消せず、テレビはずっとつけっぱなし。寝ているのか起きているのかわからないまま朝になって「仕事に行かなきゃ」と動いていました。

 

動物をたくさん飼っていたので、ペットのごはんをあげたり、トイレを替えたり、お世話だけはちゃんとしていました。でも自分自身のことになると何もできない。体が動かないような感覚でした。

 

── そうなる前からも、体には何かしらのサインが出ていたのでしょうか?

 

松岡さん:ありましたね。仕事に向かう途中、行きたくなさすぎて気持ち悪くなったり、めまいがしたり、倒れたり。耳がほとんど聞こえなくなることや、手が震えることもありました。今振り返ると、いろいろな異変が体には出ていたんだと思います。

 

でも、当時は立ち止まることができませんでした。休業したら自分の居場所が失くなってしまう不安があったからです。休めば休むほど戻るのが大変になる、忘れられてしまうんじゃないかって。だから、少し休んでまた元の場所に戻るという選択肢は、当時の私にはなかったんです。

 

── 今の仕事を続けられない自分を受け入れることに、抵抗があったのでしょうか?

 

松岡さん:いえ、そこは意外と冷静でした。麻雀で自分や他人をすごく分析する力が身について、得意・不得意などもしっかり見分ける癖がついていたんですよね。だから、当時は自分の状況についても「この分野ではもう頑張れない。でも生活を変えれば、また違うことなら頑張れるだろう」と思えました。「だったら一度休んだり、今の仕事を頑張り続けたりするよりも、違うことをやろう」と。

 

── やる気を失うまで心身が落ち込んだ状態で、それだけ冷静に判断できるのはすごいですね。でも「違う生活をする」という発想から、なぜ離島移住に辿り着いたのでしょうか。

 

松岡さん:もともと自然がすごく好きだったんです。また、雀荘で毎日、接客をしていたこともあって、人と関わることに少し疲れていたんだと思います。「休みの日くらい、人とあまりしゃべりたくない。人より自然が多いところで暮らしたい」と思うようになっていました。