世界選手権目前で今度は乳がんが発覚し

── その後、2019年2月には乳がんが発覚しましたが、診断されたときはやはり落ち込まれましたか。
近藤さん: 医師からは抗がん剤治療を選べば胸は残せるが、治療期間中は走れなくなる。全摘すれば、傷が癒えればすぐに再開できると提示されました。私は迷わず「取ってください」と即答したんですが、先生は「家族と相談しなさい」とあきれていましたね。でも私には時間がなかったんです。2か月後にはロンドンの世界選手権、そして東京パラリンピックの選考が迫っていたからです。 それを先生に伝えたら「えっ、世界選手権走るんですか?」と驚かれていました。
── 実際、3月には手術をして1週間後には退院、20日後には合宿にも参加されたそうですね。
近藤さん:周囲は猛反対でした。コーチからも「今回は辞退しよう」と何度も言われました。でも、自分の身体の声を聞くと「いける」という確信があって。合宿では、走った後に自分で傷口を消毒し、ガーゼを替えながらトレーニングを続けました。
4月のロンドン世界選手権でスタートラインに立った時、私はただ完走している自分の未来だけを見ていました。医学的には無謀だったといえるかもしれません。それでもロンドンの街を走りきった時、私は確信しました。「病気であっても、何かを失っても、私は私であり続けられるな」って。それほど、私にとってマラソンは、もはや単なる趣味ではないんです。
魂を燃やすための生命維持装置ともいえるような存在で、薬そのものなんです。走ることを奪われるくらいなら、身体の一部を失う方がずっとマシ。それほど欠かせないものになっていますね。
全盲になった今、次に目指すのは
── その後、2021年には完全に目が見えなくなったそうですね。病気を診断された時から覚悟していたとはいえ、受け入れるまで時間がかかったのではないでしょうか。
近藤さん:たとえば娘が成人式を迎えたり、卒業式に向けて着物を選ぶときに、「目が見えていたらな」と思うことはありました。ただ、目が見えていた時期もあるので、なんとなくイメージできるんですよね。
医師からは「網膜色素変性症は全身へのストレスが進行を早める可能性があるから、視力を維持したいならマラソンを諦めたほうがいい」と提案されたこともあったんです。「近藤さん、マラソンやめる気ある?」と。でも私は「ないですね」と即答。見えなくなってもいいから私は走り続けたかったし、今が幸せですね。
── 近藤さんにとって走り続けることの意味や、走ることから学んだことはどんなことでしょうか。
近藤さん:諦めないタイプと言われることがあるけれど、実はストイックではないんです。最初から「絶対やりきるぞ」と気合いを入れているわけではなくて、いつも自分が楽しいと思えるほうを選んでいるだけ。ただ、これをやっておけば強くなれるとわかる時は、しんどくても少し頑張れる。逆にやっても意味がないと感じることはすぐに手放してしまう。歯を食いしばって続けるというタイプではないんですよね。
何か大きな壁を乗り越えるというより、今の自分の状態ときちんと向き合って、その自分を少しずつ盛り上げていく。そんな楽観的なやり方で続けているんだと思います。
── ランナーとしてこの先、挑戦したいことはどんなことでしょうか。
近藤さん:私は一度は東京で引退を考えました。でも、聖火ランナーとしてトーチを受け取った時、その火がパリ、そして2年後のロサンゼルスへと続いているのを肌で感じてしまったんです。パリはコロナ感染による体調不良で一歩届きませんでしたが、今は「もうひと花咲かせたい」という思いでロスを目指しています。
── その先の目標や夢も考えていますか。
近藤さん:最終的な目標は共生の社会をつくることにあります。その思いがあるからこそ、講演活動やイベントにも積極的に参加しています。障がいのある人もない人も、誰かが「やってあげる」「やってもらう」という関係ではなく、同じ場所で自然と笑顔で過ごしています。みんなが自然に集い、笑顔になれるランニングステーションも作りたい。誰もが誰かの伴走者になれるような場所を。そんな景色を思い描きながら、今を精一杯しっかり生きていきたいと思っています。
取材・文:石井宏美 写真:近藤寛子