2016年のリオ・パラリンピック女子マラソンで5位入賞を果たした全盲のランナー、近藤寛子さん。34歳の時に視野が極端に狭くなる網膜色素変性症と診断され、「いずれ失明する」と宣告されました。その後、ふさぎ込む日々が続き孤独も感じていましたが、ブラインドマラソンとの出会いが大きく運命を変えることになります。

幼稚園の送迎中に「視野が極端に狭くなっている」

優しい夫と3人のお子さんに恵まれた近藤さん

── 近藤さんは34歳の時、視野が狭まっていく「網膜色素変性症」と診断されました。当時の心境をあらためてお聞かせください。

 

近藤さん:もともと夜は見えにくいなという自覚は子どもの頃からありました。事態が急変したのは、3人目の娘が生まれて幼稚園の送り迎えを自転車でし始めた頃です。ある時、建物の陰から出てきた方とぶつかってしまって…。その時、初めて自分は正面しか見えていない、視野が極端に狭くなっている事実に気づいたんです。

 

コンタクトレンズを作り直すつもりで行った眼科では、暗い検査室に通された時に目の前の椅子さえ見えずに立ち尽くしてしまって。先生が「もしかすると網膜色素変性症かもしれない」と大きな病院で検査を受けたんですが、そのときに正式に診断を受けました。「いずれ失明するかもしれない」と宣告されたときはかなりショックでしたね。

 

── すでに3人のお子さんを抱えていらっしゃいました。母親としての葛藤は相当なものだったのではないでしょうか。

 

近藤さん:本当に目の前が真っ暗になりました。末の娘はまだ赤ちゃんです。「目が見えなくなるお母さんに、3人も子どもを育てていけるの?」という自問自答が止まりませんでした。これまで当たり前にできていた家事や育児、子どもたちの成長をこの目で見届けることも奪われるような恐怖がありましたね。

 

最初の3年間はその事実を直視できませんでした。でも娘が3歳になったころ、不便を感じるようになったり、危ないと感じるようなことが何度かあって、 視覚障害者認定を受けたんです。

 

── 外出するのが億劫になったり怖いと感じたりしませんでしたか。

 

近藤さん:外に出るのが物理的にも精神的にも怖くなってしまいましたね。自転車でカーブが曲がれないし、視野が狭くなって位置関係が把握しづらくなった影響で、歩いていても帰る道がわからなくなっていったんです。家の中にいれば、家具の配置もわかっていますし普通のお母さんでいられるけれど、一歩外へ出ると、私はあまりにも無力な視覚障害者になってしまう。その二面性に耐えられませんでした。

 

それに当時は両親がふたりとも病気で、私がその介護を担っていたんです。自分の目が見えなくなっていく恐怖と闘いながら、両親の洗濯物を引き取って洗ったり、身の回りの世話をしたり…。当時は自分の足を奪われた絶望に加え、そういった重責ものしかかっていました。

 

外出は最低限。私はほとんど家の中に閉じこもりで、外の世界との接点を断ち切っていました。娘を公園に連れて行くことさえできず、ただ家の中で時間が過ぎるのを待つだけの日々でした。