力士と結婚することの重みを知って
── 大相撲期待のホープの結婚は注目を集め、結婚披露宴は560人も参列された盛大なものだったそうですね。
西脇さん:師匠とおかみさんがすべて仕切ってくれたので、私たちは本当にただ参加するだけ。魁皇も朝稽古してから式場に来たくらいです。私の親も魁皇のご両親も、自分の子どもの結婚式なのに、師匠や部屋にお任せのスタンスで。ふたりの結婚でありながら、相撲協会や後援会のみなさまへのお披露目でもあって。「お色直しでカラードレスを着たい」と思ったりもしましたが、自分の好きにできるものではなく「私は特殊な世界に入ることになる」と、その頃から感じ始めていました。
交際中もそうですが、「私のせいで彼をケガさせられない」思いはありました。相撲協会の内規にもありますが、車の運転も私がしましたし、電球の交換を頼んでケガをさせたりしてはいけないと気を張っていました。結婚後、その意識はさらに高まりました。横綱を目指す人で相撲協会からの大事な預かり物ですから、「この人に何かあったら、部屋にも協会にもファンのみなさんにも迷惑をかける」プレッシャーは、ずっとありました。
── そして23年の相撲人生に幕を下ろすときがやってきます。二人三脚で頑張って来られた西脇さんに対し、引退時に夫から何か言葉があったのでしょうか?
西脇さん:名古屋場所だったんですが、10日目の取組で土俵に立ったときに両手を広げて天を仰いだんですよね。そんな姿を見たのは初めてで「これはもう辞めるんだな」と直感しました。取組後に、本人から電話があって「もういいか?」と言うので、私は「もういいよ、もう十分」と。それからすぐに名古屋へ向かい、夫婦で師匠へ挨拶。師匠も「ここまでだな」と声をかけていて、本人も「もう十分です」と。清々しい、やり切った表情に満ちた笑顔でした。私とは違う引き際の美学を知りました。
私はレスラー時代、「引き際はきれいなうちに」という考えがあり、コンディションもよく強さがピークのときにプロレス界を去りましたが、彼は違いましたね。何度ケガをしても、目の前に取り組みがあれば戦い続ける。気力と体力がボロボロになる限界まで戦い抜きました。
── その後は引退の1年後に引退相撲も開かれたそうですね。引退相撲は一定の実績を残した引退力士だけが自主興行として開ける盛大なイベントで、自身の功労をねぎらいつつ、チケット販売で第二の人生の資金を捻出するそうですが、1万人の魁皇コールが国技館に響き渡ったときは感慨深かったのでは?

魁皇コールを聞いた瞬間、もう本当に鳥肌がたって、涙が自然と溢れました。今でもそのときのコールは耳に残っています。変な話、現役時代、国技館など本場所での観戦には行ったことがなく、聞いたことがなかったのもあるんですが。最後に一度きりだけど、最高の魁皇コールが聞けました。