アイパーという特殊なパーマをあてたヘアスタイルがトレードマークの任侠キャラ。彼が操るのは、ふわふわな毛糸と編み棒です。お笑い芸人・アイパー滝沢さん(51)は、Eテレのハンドメイド番組に講師で出演したり、編み物本を出版したりと注目を集めています。しかし、そのキャリアの裏には500万円の借金、極貧の下積み時代が。「好きなことしか続けられない」と話す不器用な遅咲き芸人が、居場所を確立するまでを聞きました。
奢りの飲み会でも「電車賃すらなかった」

── アイパー滝沢さんは現在「任侠キャラが編み物をする」というギャップで注目され、NHKの手芸番組に講師として出演したり、編み物本を出版したりしていらっしゃいます。でも、売れるまでは長い下積み生活だったそうですね。
アイパー滝沢さん(以下、滝沢さん):アイパーをあてた髪型にサングラスという強面スタイルで任侠ネタをやっていたのはデビュー当時からです。ただ、そこから10年以上ずっと売れなくて、アルバイトばかりでしたよ。ガソリンスタンドで深夜から朝6時まで働いて、そのまま朝8時からスーパーの品出しに入って、昼過ぎに終わったら昼寝して、夕方4時に劇場入り。夜10時に終わったらまたバイト。寝る時間もなくて、つらかったですよ、正直。
先輩が「奢ってやるから」って誘ってくれても、電車賃がなくて行けない(笑)。同居していた芸人に「行きの電車賃だけ貸してくれ」ってお願いし、行ってから先輩に帰りの電車賃を借りて帰ってくる、みたいなことを普通にやっていました。男3人と猫1匹で暮らしで、月収は10万円を切ることもあってね。彼女が作り置きを持ってきてくれたのを、ありがたくいただいてました。
── そんな苦しい状況が続くと、普通ならやめたくなってしまいそうです。
滝沢さん:それがやめなかったんだよね。彼女に「こんなにお金ないのに、なんで辞めないの?生活できてないんだよ、人として普通じゃないじゃん」って、マジマジと言われたことがあって。「たしかに」とは思ったんですよ。普通なら辞めるのかもなって一瞬思った。でも、辞めることはなかったんですよね。
俺、嫌なことは本当に続かないんです。我慢できない性格で。だから逆に、お笑いをやり続けていたってことは、それだけお笑いが好きだったんでしょうね。辞める選択肢はありませんでした。
「借金500万円」定職につかず、キャバクラで散財
── 芸人になる前はどんな生活を送っていたのでしょうか。
滝沢さん:国家予算に手を出して、刑務所にいた。編み物はそこの作業で覚えたんだよね、ホゥ…というのが、芸人としての公式情報(笑)。実際、若い頃は本当にろくでもなくて、吉本に入る前は借金が500万円くらいありました。定職にはつかず、アルバイトをしながらキャバクラに通って散財して…。
金が足りなくなると「ちょっとお金おろしてくるわ」って、消費者金融のATMへ走るわけ。キャッシングは借金だと理解していればよかったんだけど、「自分の貯金を引き出す」感覚で気軽に利用していて。それでどんどん借金が膨らんでいったんです。しかも、借金があるのが当たり前だと思ってたんですよ。
で、よしもとの養成所(NSC)に入ってみたら、同期みんな「借金?そんなのないよ」って。びっくりしちゃった。借金してる人も大学に行った際の奨学金や、NSCの入学金を親に借りたとか、その程度。「え、消費者金融からは?」って聞いたら、「ないけど」って(笑)。

── 多額の借金を背負いながら、芸人をめざしたのはなぜですか。
滝沢さん:もともとお笑いが好きで、28歳の時に「自分の名前で勝負してみたい、もっと表に出る仕事がしたい」と考えるようになって。お笑いを真剣にやるためにNSCへ。
じつは、大阪NSCの願書を取り寄せたら「26歳まで」という年齢制限が書いてあって、「アイドルじゃあるまいし、お笑いの世界でもこういうのがあるの?」と、驚いたね。東京のNSCははっきりとは書いてなかったんだけど、「こっちも実際には年齢制限があるかも」と思って、5歳サバを読んで入所しました(笑)。
── たしかに、年齢のサバ読みは、かつて女性タレントではよく話題になっていましたが、男性芸人では珍しいですね。
滝沢さん:そう、男の芸人でサバを読む奴って俺の知る限りいなかったんですよ。だから、「いないからこそやったらおもしろいかも」という発想で、よしもとに入ってからもサバを読み続けました。売れた時にトークのネタになればいいなという計算もありましたし。ただ、なかなか売れなくて、ネタばらしする機会が15年以上来なかったんだけどね。