「私じゃない、違う誰かになりたかった」と幼少期を振り返る東香織さん。現在は「ユンボ」と呼ばれる油圧ショベルを操り、現場で働くかたわら「重機女子インフルエンサー」として情報発信を続けていますが、不仲だった両親のもとで育ったことで、子ども時代は生きる意味が見出せない時期が長かったそうです。そんな境遇を変えたのが「ユンボ」でした。
不仲な両親のもとで育って

──「重機女子インフルエンサー」として活動されている東さん。生まれは長野県で、ご両親の別居に伴い高校から上京されたそうですね。
東さん:はい。物心ついた頃から両親は不仲で、互いに悪く言い合っていました。幼いながらに「なぜ別れないんだろう」と思いながら育った記憶があります。家庭環境の影響で、父も母も子どもにやさしい言葉をかける余裕がなかったのか、褒められたりした記憶がほとんどありません。そのため、私は自分のことを「かわいい」と思えたことはなかったし、自己肯定感はかなり低い状態。常に「私じゃない、違う誰かになりたい」と願っていましたし、中学生の頃は反抗期もあってかなり荒れた生活を送っていました。
ただ、4歳下に弟、11歳下に妹がいるのですが、きょうだい仲はよく、年の離れた妹の面倒をよく見ていました。
高校は長野県内で進学すると決めていたのですが、そのタイミングで両親が別居することが決まったらしく。父だけを残して母の実家がある東京に引っ越すことが決まったのが中3の冬でした。
受験も一次には間に合わずに二次で受けられる高校を探すなか、強豪吹奏楽部がある八王子高校が楽器推薦を募集しているのを見つけて。中学時代は吹奏楽部でバリトンサックスを吹いていたので、それを利用してどうにか高校に入学することができました。
── では、高校時代は部活に打ち込んでいたのでしょうか?
東さん:それが…、周囲の演奏レベルについていこうとハードな練習を重ねた結果、顎関節症を患ってしまって。何もしなくても頭痛がするほど重度の症状が出て、ドクターストップがかかりました。結果、高校1年の終わり頃には部活を辞めなくてはいけなくなったんです。それからは、バイトに明け暮れる日々を送りました。
母と一緒に上京したものの、もともと母との関係は良好ではなかったんです。そんな状況に加えて、2年生の終わり頃に「もうこれ以上、一緒に暮らすのは無理だ」と思う出来事があり、家を出ることにしたんです。