知的障害と難治性てんかんのある兄をもつ「きょうだい児」の白井俊行さん。幼少期から抱いていた家族への嫌悪感を誰にも言えず、大人になってからも苦しい日々が続いていました。しかし、母親の闘病を支える中で選択した「実家との絶縁」がきっかけとなり、人生は前向きな方向に進んでいったといいます。

ネットで「きょうだい児」の本音を知り衝撃受けた

── 上京して大学院を卒業後、IT企業に就職。社会人になり、友人の家庭環境と比べて初めて、ご自身が育ってきた環境が普通とは違うと気がついたと。そして29歳のとき、障害のある兄弟姉妹をもつ子どもを意味する「きょうだい児」という言葉を知って世界が変わったそうですね。

 

白井さん:はい。あるネットの掲示板で「きょうだい児」という言葉を見つけて。「1人目の子に障害があって、2人目を産みたいけど迷っている」という親の立場の質問に、きょうだい児が返信していたんですが、批判的な意見のなかに、「きょうだい児なんていいことはないから、産む意味がわからない」とか、「私は障害のあるきょうだいが大嫌い。あなたもそんな子を作ってもいいのか」という内容があって。それを見たときに、自分みたいに障害のあるきょうだいを嫌いな人がいるんだと知って、ものすごい衝撃を受けました。

 

学生のころから心の底で「兄が大嫌い」と思っていたけれど、絶対口にしちゃいけないと思っていました。当然は幼かったので、兄が嫌いと言うことは障害者全員を嫌いと言っているのと同じことだと思っていたので。今になってみれば、障害の有無を問わず家族が嫌いという感情はあって当たり前だとわかるんですけど。

 

── きょうだい児という言葉や存在を知ってからは、ご自身にどんな変化がありましたか。

 

白井さん:たとえると、ずっと悩んできた原因不明の体調不良に病名が付いたような感覚がありました。今まで常にうつうつとして、晴れやかな気持ちになれたことがないのは自分の性格のせいだと思っていたんです。でも、きょうだい児の場合は幼いころから親の関心が向きにくくて孤独感を感じやすいとか、知的障害のある兄弟姉妹から暴力やいやがらせを受けて負の感情を持つこともあるとか、特有の因果関係に気づくと、自分の性格のせいじゃなかったんだと、ホッとしました。

 

きょうだい児に限らず、誰しも20代ぐらいで自分の育ってきた家庭環境を整理すると見えてくるものがあると思うんです。この環境で、この親に育てられたから今の自分があると理解すると、だいぶすっきりすると思います。

母親の闘病を支えるなかで感じ始めた「理不尽さ」

── きょうだい児の存在を知ったのと同じころに、3か月休職して実家に戻る決意をしたのはなぜでしたか。当時、お兄さんは施設に入って、ご実家はご両親と年の離れた弟さんだけになっていたそうですが。

 

白井さん:自分の過去が整理された今なら、「普通の家族」としてゆっくり過ごせるんじゃないかと思い、少し仕事を休むことにしました。

 

最初の1か月は心身を休めながら、家族みんなの晩ご飯を作ったりして穏やかに暮らしていました。両親との距離が近づいたと思った矢先、2か月目に母親に「一緒に病院に来てくれ」と言われて行ったら、母のがんがわかって、すぐに手術することに。それと同時期に母の精神が乱れて、3か月目に双極性障害だと診断されました。

 

母は手術後に退院したものの、躁(そう)の症状が強烈に出てしまって。たとえば朝の4時に僕の携帯に母から電話がかかってきて、「いいこと思いついた。私はこれから1億稼いで、お兄ちゃんのための障害者施設を作る!」とか、めちゃくちゃなことを言い出す。本当に行動に移そうとするので、止めるのが大変でした。

 

白井俊行
がんと双極性障害を患った母親を白井さんが支えていた

── お母さんのケアは白井さんがなさっていたんですか。

 

白井さん:そうですね。父親は相変わらず家事はほとんどやりませんでしたし、僕の目から見ると、母に寄り添う様子もありませんでした。

 

母は双極性障害になってから、普段隠していた本音が露骨に出るようになった気がしました。姑への嫌悪感がたまっていたのか、姑の立場の人にものすごく攻撃的になって。いっぽうで兄を含めた障害者のために何かしたいという思いも強かった。結局、母親にとって重要だったのはその2つだったんです。別人のようになってしまった母親を必死に支えながら、日々の家事もこなす中で、だんだん理不尽さを感じてきました。

 

振り返れば、親として教育や進学のためのお金は出してくれましたが、小学生や中学生のころ、精神的にいちばん頼りたかったときに母は何もしてくれませんでした。すごく落ち込んでいるときや学校に行きたくないとき、母は僕の気持ちに気づいていたはずなのに…。それなのに、いざ自分が病気になったら全部僕に寄りかってくる。親は無償の愛情を子どもに注げるかもしれないですけど、子どもは親がやってくれたこと以上は返せない。家族だからといって僕が母を助けるのはフェアではないと思いました。これ以上一緒にいたら自分が壊れてしまうと感じて、休職の延長はせずに、家族とはもう縁を切ると決めました。