「収入が不安定で大変だから農家は継ぐな」と言われて育った立川あゆみさん(52)。専門学校卒業後はアパレルと芸人の二足の草鞋で「好き」に打ち込んできましたが、60歳を過ぎてもトラクターを動かす父を放っておけなくなってしまい、42歳で就農を決意。「(苦労するだけの)負け試合はしない」とすべてを託した作物はパクチーでした。

よしもと芸人とアパレルで始まったキャリア

── パクチー農家の立川さんは、元々よしもと芸人という変わった経歴を持っていらっしゃいます。他にもいくつもの職業を経験されたそうですね。

 

立川さん:服飾系の専門学校を1年で卒業して、19歳でアパレル企業に就職。服飾小物のデザインをやっていました。それと並行して吉本興業のオーディションに挑戦し、週末は芸人として「銀座7丁目劇場」(当時)の舞台に立っていたんです。昼はアパレル、夜や週末は芸人の二刀流。モノ作りも、人を楽しませることも、どちらも子どものころから大好きで、「やりたいことが目の前にあるのにやらない」という選択肢は当時の私にはありませんでした。

 

── 芸人は特に、憧れる人も多い仕事です。プロの世界はどうでしたか。

 

立川さん:めちゃくちゃ厳しかったです!私、学生時代は「周囲を笑わす才能がある」って自負していたんです。でも、当たり前ですが、学校行事のパフォーマンスでウケるのって「身内」がお客さんだから。プロとして立つ舞台では、お客さんは私のことを1ミリも知らないので、最初は全然ウケなかったですね。「早くこのネタを終わらせたい」と焦ると、どんどん小声で早口になってしまい、ますますウケない悪循環です。

 

そのうえ、出番を終えると楽屋に出演者が集合させられ、劇場の館長から1組ずつダメ出しをされるんです。声のトーン、間の取り方、泥臭くリアルな自分を見せること…。でも、徹底的にしごかれたおかげで「自分が満足するのではなく、相手がどう受け取るかが大事」だと意識するようになりました。

 

── いっぽうで、デザインの仕事は「モノ」と向き合うため、芸人とは対照的な仕事に思えます。

 

立川さん:じつは似てるんです。趣味や学校の課題で「作品」を作るときは、自分が「おもしろい」「カッコいい」と思うものを好きなように作り上げればいい。奇抜なもの、個性的なものも正解になります。

 

でも、ビジネスとして大量生産をしてお客さまに売る場合はそうはいきません。たくさんの人に受けるデザインでなくてはなりませんし、素材もコストや扱いやすさまで意識して選ばなくてはなりません。

 

どんな人を相手にしているのか意識して、お客さまをどう喜ばせるか。マーケティングの勉強をしたことなんてありませんが、人が何を受け取りたいか、あるいは受け取りたくないかの嗅覚は、この2つの職業を通じて身体に染み込みました。