10年間の不妊治療を経て、46歳のときに結婚・出産のために渡米した沢えりかさん。現地でパートナーに巡り合い、50歳のときに第1子を超高齢出産します。妊娠中は年齢もあり、「ハイリスク患者」と表記されたほか、煩雑な国籍取得申請にも苦労。そして、「高齢出産はかわいそう」という批難の声も。それでも「後悔はない」と語る今に迫ります。
49歳、妊娠中は「ハイリスク患者」扱いに

── キャリアがひと段落した30代後半から不妊治療クリニックに通いつつ、結婚相手を探していた沢さん。45歳のときに医師から「年齢的に妊娠は難しい」と言われるも「アメリカなら可能かも」という言葉を受け、渡米を決意。フリーアナウンサーの仕事を辞め、アメリカで結婚、妊娠、出産を考えることに。
そして渡米後、2つ年下で、7歳の娘がいるシングルファーザーとの結婚を果たしました。当時、沢さんは49歳。子どもについてはどのように考えましたか。
沢さん:すぐに子どもが欲しかったので、ニューヨークでいちばん妊娠成功率が高いと評判の不妊治療クリニックを受診。人工授精はせずに体外受精を決めました。そしたら奇跡的に1回で妊娠したんです。
── 日本ではパートナーがおらず、妊娠するための身体づくりを10年以上しながら、不妊治療を続けた末の妊娠、どう思いましたか?
沢さん:とにかく嬉しかったですね!「本当に…?」ってすぐに信じられなかったけど、後はひたすら喜びを噛み締めました。
ただ、妊娠高血圧症候群になったのと、前置胎盤と言って、本来子宮の上部に作られる胎盤が、正常より低い位置に付着してしまったんです。入院には至らなかったものの、運動を控えるように言われ、49歳という年齢も重なって「ハイリスク患者」として扱われました。
── 無事に産まれるまで緊張が続きそうです。
沢さん:出産もかなり大変でした。予定より1週間早く破水して、陣痛が始まって20時間以上過ぎても産まれませんでした。「これ以上出てこなかったら帝王切開にする」と言われた直後、最後に力むとビリビリって体の中が裂けるような感覚があって…。
無痛分娩だったので、陣痛に合わせて硬膜外腔へ鎮痛剤を投与するボタンが手元にあって、痛くなってきたなぁと思ったときにボタンを押すと、痛みをやわらげることができるんです。麻酔が効くまで15〜20分くらい掛かりますが、麻酔が切れはじめたタイミングで産まれ出したので、ボタンを押すどころじゃなくなって。最後は体が裂けるような強烈な痛みの中で息子を出産しました。
産道の中側まで裂け、大量に出血して縫ってもらいましたが、1年経ってもクリームを処方してもらっている感じで。
── 大変な思いで出産されました。初めて息子さんと対面すると、どんな気持ちになりましたか?
沢さん:涙を流して感動するだろうと思っていたら、それ以上に息子の人生を背負う責任感のほうが強くて、まったく涙は出ませんでした。緊張して、たぶん怖い顔をしていたんじゃないかな。
── ご家族には妊娠や出産はどのように伝えていましたか?
沢さん:私が結婚したときに母はすでに他界していて、父は高齢だったので産後に伝えました。兄弟は兄と姉がいますが、2人には妊娠中から伝えていて、姉にはとくによく相談に乗ってもらいましたね。
義理の両親には安定期に入るまで妊娠報告は控えていました。ただ、うちは毎週のように義理の両親の家に遊びに行っていたんです。あるとき、つわりが酷くて横になっていたら義理の母が「もしかして…」と言ったので妊娠がバレたのか、と思ったら、「メノポーズでしょ」って。メノポーズって閉経前後の更年期あたりのことを言うんですけど、私は更年期症状で横になっていると思われていたようです。
安定期に入って妊娠を告げるとかなり驚かれました。高齢だし、無事に出産するまで心配していたみたいです。