母が発した予想外「ごめんね」に
── そんな展開を経て、ご両親にはどう腎移植の相談をしたのでしょう?
クボケンさん:「さすがに言うしかない」という状況に追い込まれて、ようやく実家に電話をかけ、母に「実は腎臓移植が必要らしいんだ」と打ち明けました。
僕、絶対に怒られると思ったんですよ。「東京で何やってんの!」って。でも母から返ってきたのは「ちゃんと産んであげられなくて、ごめんね」という言葉でした。電話越しに謝られて、僕も「そうじゃない、俺のせいだよ」と。父も母の隣でその会話を聞いていたと思います。
── 後日、腎移植の適合か検査するために、病院にご両親がいらっしゃったそうですね。
クボケンさん:両親に加えて、兄、親戚のおばさん、いとこまで総勢5人が来てくれました。「誰の腎臓が合うかわからないから」って。もう本当に…ありがたかったですね。
検査の結果、残腎機能の高い72歳の父がドナーの第一候補になることに決まったのが2016年3月。そこから7月の手術日までの間、両親は群馬から3時間掛けて東京の病院まで来ては、何度も検査を受けてくれました。父は「田舎にいてもやることがないからいいよ」なんて言ってくれて…。
── その後、移植手術は、無事に成功したそうですね。
クボケンさん:はい。いろいろな葛藤や苦しみ、感謝を感じながら何より無事に手術が成功して本当によかったです。医療従事者の方々にも大変お世話になりました。今年で術後10年になります。80代になった父は、今も元気で、3か月に1回の定期検査も問題なく続けてくれています。
腎臓移植は僕の人生の中でもかなり大きな経験となりました。ドナーになってくれた父。ひたすら祈り続けてくれた母。一緒に号泣した妻や、検査に来てくれた親族をはじめ、誰一人かけても僕の人生は成り立たなかったと思います。術後10年たちますが、この先も定期検診や薬の投与、食事制限は続きます。
もともと腎臓が弱かったこともありますが、芸人という仕事を言い訳に、病院に通院しながらも不規則な生活が続いたし、薬を飲み忘れることもあった。病院も行ったり行かなかったりしながら、どこかで「どうにかなるんじゃないか」って思っていたのかな。その結果、まさかこんな大事になるなんて当時は思いもしなかったけれど、これが現実です。
腎臓移植の手術を受けて今年で術後10年。今はもちろんお酒も飲まないし栄養管理も気をつけています。それでも、あんなに大変な思いをしても、人ってつい楽な方向に流されてしまう可能性が0ではない。10年の節目で自分への戒めも含めてお話ししています。
取材・文:阿部花恵 写真:クボケン