生放送中も「飛び出したい。逃げたい」心境に

── 薬を飲んで治療をしながら、アナウンサーの仕事を続けていらっしゃったのですか?回復したと感じるまでにどのくらいかかったのでしょうか。

 

村西さん:5年くらいは心療内科や精神科に通って、少しずつ薬を変えたりしながら治療をしていました。パニック症は突然、強い不安や恐怖を感じて身体的、また精神的にパニックを引き起こす病気。人によって症状はさまざまですが、私の場合は「この場にいたくない。飛び出していきたい。逃げたい」と思ってしまうタイプでした。

 

特に閉鎖的な空間が苦手で、窓もなく重い扉を閉める防音室状態の報道のスタジオが息苦しくなったのはつらかったです。当時、私が担当していた番組は夕方5時から2時間の生放送でした。途中で20分ほどフジテレビのスタジオから放送する時間があったので、その間に7階の報道スタジオからカンテレの1階玄関まで急いで降りて、外の空気を吸って戻ってくることもありました。

 

治療を始めた頃は、自分が精神疾患を患っているということにも抵抗を感じていましたし、薬の種類や強さ、飲むタイミングも手探りでした。いま思えば、予防的に薬を飲むことも問題ないとわかるのですが、当時は「薬はなるべく飲まないほうがいい、でないと薬をやめられなくなる」という思い込みがありました。薬を予防的に飲まないから、怖い思いを繰り返す、そのことでまた不安や恐怖が起こりやすくなる、という悪循環に気がついてからはやっと「怖くなる前に飲んでおく」ことが肝要だと気がつきました。体調をコントロールできるようになるまでには数年かかったと思います。

 

── ご家族には病気のことを知らせていたのでしょうか?

 

村西さん:発症した34歳の頃、プライベートでは結婚と離婚を経験し、自己肯定感が人生でいちばん低い時期だったかもしれません。同年代の友達はみんな、30歳前後で結婚して子どもを産んで、という暮らしをしているのに、私はなぜ「普通の人生」が送れないんだろうって。もともとわが家は母との関係が良好とは言えず、親に甘えたり相談したりということをほとんどしてきませんでした。「親をがっかりさせてしまう娘だから」と自分を責めて、親には病気のことは伝えても、深く理解してもらったり、支えてもらったり、ましてや甘えるということはできませんでした。