発達障害のある子どもにとっては就職や転勤、ひとり暮らしなど大きな人生の変化は不安を感じることが多いようです。そんななか、自閉スペクトラム症・ADHDの30代男性は自分の自己効力感を高めたあるきっかけが、後の人生を変えることになります。

介護業界に就職も利用者の死を経験して

── 発達障害を持つ4人のお子さんを育てた堀内祐子さん。現在31歳の次男・拓人さんは、小学2年生のころ、ADHD(注意欠如・多動性障害)と自閉スペクトラム症の2つの発達障害の診断を受けました。念願の介護業界、有料老人ホームに一般雇用枠で就職しましたが、仕事はいかがでしたか?

 

堀内拓人(以下、拓人)さん: 目指していた業界に就職できて大変うれしかったのですが、入社研修2日目で定型発達(発達障害のない)の社員の方々との大きな違いを感じました。皆さんの空気感のなかで浮いてしまって、「きっと仲良くなれない」と自分から壁を作り、親には入社2日目で「辞めます」と伝えました。ただ、それですぐに退職したわけではなく、なんとか研修を続けるうちに、いい先輩や仲間に恵まれ、楽しく仕事ができるようになりました。

 

しかし、高齢の利用者さんの死を初めて経験したことをきっかけに、心身ともに不調をきたして会社に行けなくなりました。ふとしたときにも亡くなった利用者さんの顔が浮かび、働こうとしても気持ちが追いつかなくなってしまい、結果的に3か月ほどで退職することになりました。

 

母親の祐子さんが書き続けた家族新聞を、毎回150部程度印刷して学校の先生や近所に配布。祐子さんにとって、子どもたちとの出来事を文章にするのは楽しみになっていた

── きっと、祐子さんが幼少期に「天使のよう」と形容した、拓人さんの繊細で優しい性格からくるものだったんでしょうね。その後は?

 

拓人さん:「新卒で入社した会社を短期間でやめた自分を採ってくれる会社があるのだろうか」と悩みながらも、福祉業界をあきらめられませんでした。やがて、自分に発達障害があり、就職活動で苦労した経験を活かして、「障害者の就労支援に携わりたい」という考えに至りました。

 

そこで、親に頭を下げてお金を出してもらい、国家資格のキャリアコンサルタントを目指したんです。学科と実技は各100時間が必修条件。とくにコミュニケーションが苦手なので、実技で苦労しましたが、なんとかやり切って合格しました。この経験は「自分は成し遂げられる」という自己効力感を持つきっかけになりました。