10人に1人が発達障害と診断される今、進学や就職で、発達障害とどう向き合うか親や当事者にとっても大きな課題になっています。就職活動で発達障害をカミングアウトした堀内拓人さんは、面接での空気が一気に変わったと振り返ります。

「死ぬことはないよ」と母は気丈に言った

── 育て上げた4人のお子さん全員が発達障害を持っていた堀内祐子さん。現在31歳の次男・拓人さんは小学2年生のころ、ADHD(注意欠如・多動性障害)と自閉スペクトラム症の2つの発達障害の診断を受けました。勉強や部活で悩んだ中学時代を経て、高校ではどんな日々を送りましたか?

 

堀内祐子(以下、祐子)さん:発達障害を考慮し、中学2年生から高校の見学などを始め、卒業後は調理師専門学校に進学しました。でも、主に調理実習の日になると学校に行けないことが続いたんです。

 

ある日、拓人が「お母さま、私は死にたいです。せっかく自分で行きたいと言って、たくさんの学費を払っていただいたのに、私はこの学校を続けることができません」と言ってきました。ふつうなら驚くかもしれませんが、発達障害の子にはこういうこともあるかもしれないと覚悟していたので、「死ぬことはないよ。高卒認定試験、通信制高校など他にも道がある」と伝え、高校2年時に単位制の高校に転入することを本人が決めました。

 

日常のこまかいことは口出ししませんが、人生の転機では「こんな進路、選択肢もある」と情報提供するのは大人の役割かもしれません。また、中学校入学前には事前に校長先生に次男の事情を伝えるなど、親としてできることをしました。

 

堀内拓人
幼少期の4人きょうだい(左から次男の拓人さん、長女、長男、三男)

── 複数の選択肢があるとわかれば、自分を追い詰めずに済みますね。転入先の高校はいかがでしたか?

 

堀内拓人(以下、拓人)さん:中学校までは小学校からの友人と一緒でしたが、高校は環境がガラッと変わり、誰も知り合いがいない環境でした。まったく人と話さなかったわけではありませんが、連絡先を交換するような相手はいませんでした。でも、中学であんなに悩んだ勉強については自分なりのやり方を見つけて、楽しくなったんです。そして、大学に進み、法学を学ぶことにしました。