目の前の料理を全部平らげていたら体が風船のように膨らんで

──「宝石箱」のフレーズが誕生してから20年、彦摩呂さんといえばグルメ、というイメージはお茶の間にすっかり定着しましたね。

 

彦摩呂さん:こんなふうにグルメリポートの仕事をたくさんやらせてもらって、本当にありがたいですよ。でも、「グルメリポーターとして売れれば売れるほど太る」というのはどうしようもない現実で。1日3、4つの仕事が全部グルメリポートの仕事だったりするわけです。ひどいときは朝の4時から銀座でフレンチのフルコースを食べ、その足で新幹線に乗って大阪の食レポロケの仕事に向かったこともありました。

 

当然ですが、料理はどれも本当においしい。だから、敬意を込めて、カメラが止まってから残りをいただき、完食していました。「撮影が終わったら残すのかな」とも思われたくなかったんです。

 

── たしかに、作った方に敬意を示したいというお気持ちはよくわかります。

 

彦摩呂さん:朝から晩まで食べ続け、帰ったら寝るだけ。そんな生活を続けていたら、どんどん風船みたいに膨らんでいったんです、顔が(笑)。芸能界に入った当初は56キロくらいだった体重も、気づいたら135キロになって。そこで慌てておデブ仲間に相談したんです。松村邦洋さんとか石塚英彦先輩とかね。

 

そうしたら「135キロの壁ってのがあるんだよ。その壁にタッチして戻るか、そのまま振りきって突き進むか、彦ちゃん、どっちかや」って言われて。しかも「僕たちは戻ってきたよ」ってみんな口を揃えて言うんです。それなら僕も痩せるしかないと。「135キロの壁に行ってみたら、たしかにみんなの手形がついてたわ。サインして戻ってきた」って冗談で言いましたけどね。

「養殖デブ」からの卒業を決意も「ダイエット企画は全て失敗」

── 135キロを超えて突き進むことなく、戻ってくることを選ばれたんですね。

 

彦摩呂さん:そうなんです。ただ、膝が痛くてつらいことも、ダイエットを決めた理由のひとつです。医師からは、加齢と体重の増加による変形性膝関節症と診断されたんですけど、軟骨がすり減っていて、痛くて。今もペンギン歩きなんですよ。

 

変形性膝関節症のことは、内山信二くんに相談したんです。そうしたら、言うんですよ。「俺たちは天然デブだけど、彦兄は養殖デブだからだ」って。「俺は3歳からデブだから骨もデブ仕様に成長した。骨が『こいつデブになるな』って覚悟して育ったから、俺は何ともない。でも、彦兄はもともと痩せてて、成長の途中からデブになったから、軟骨の成長が追いつかなくてすり減ってるんだよ」って言われちゃって。

 

彦摩呂
子どもの頃から太った記憶はないという彦摩呂さん。写真は6歳のころ、お母さんと

── 彦摩呂さんは養殖デブだったんですね…。たしかに、アイドルグループ「幕末塾」としてデビューした40年前から比較すると80キロほど太られたそうですね。

 

彦摩呂さん:そうなんですよ。もうね、僕は内山くんの「途中から太ったからや」って話がすごく納得できて。実はそこから、何回か番組でダイエット企画に挑戦して痩せたんですよ。専門のトレーナーや栄養士さんに指導してもらってね。20キロ減量したこともあります。

 

でも、企画が終了するとカメラもトレーナーも栄養士さんもサッといなくなる。止めてもらっていたグルメリポーターの仕事が再開される。そうすると、ものすごいスピードでリバウンドするんですよ。だから今回は、ダイエット企画はもう全部断ろうと。某有名ジムからのオファーも断りました。それで、自力でゆっくり体重を落とそうって一念発起したんです。それがちょうど2年前の誕生日のことでした。

 

取材・文:たかなしまき 写真:彦摩呂