「まるで海の宝石箱や~」。グルメリポートでおなじみの彦摩呂さん。思わず食べてみたくなる、臨場感あふれるリポートを支えるのは、忘れもしない子どもの頃に食べた母の味だったそう。裕福だった暮らしから、両親の離婚で母子家庭へ。仕事を掛け持ちしながら食べ盛りの男児2人を育てあげた母は、どんなに忙しくても、手作りのご飯だけは欠かさなかったといいます。

ある日を境に、アルバムの写真がガラッと変わった

── 彦摩呂さんは、もともと裕福なご家庭の次男として生まれ育ったものの、5歳頃にご両親が離婚され、生活が大きく変わったそうですね。大きなギャップを感じたことはありましたか?

 

彦摩呂
グルメのお仕事を中心に全国を飛び回る彦摩呂さん

彦摩呂さん:一番よく覚えているのは、アルバムの写真がガラッと変わったことですね。4歳頃までは、いいジャケットを着て、お帽子をかぶって、椅子の上に座らされて、おばあちゃまと撮ったりしていたんですよ。でも、アルバムの次のページをめくると、急にすごく庶民的な写真になるんです。ヨレヨレのランニングシャツに半ズボン、サンダルを履いて、アイスキャンディーを持って、「いぇーい!」って(笑)。

 

ただ、僕は両親が離婚したことは、子どもながらにそんなにショックじゃなかったというか、母と兄と3人で仲よく楽しく暮らしていた記憶があります。母がとにかく明るい人で、愛情いっぱいに育ててくれたんですよ。新しいおもちゃが流行ったら「買っておいで」とおこづかいをくれたことも。「父親がいないから、あそこの家は…」と言われたくなかっただろうし、父親がいないことを引け目に感じるような子どもに育てたくなかったのかもしれません。

仕事を掛け持ちして食べ盛りの息子を育てた母

── お母さんは、仕事を掛け持ちしながらお兄さんと彦摩呂さんを育て上げたそうですね。

 

彦摩呂さん:兄が、サッカー強豪の私立北陽高校(現:関西大学北陽高等学校)に進学して、国体にも出場したんです。私立の学校って、学費が年間150万円くらいかかるから、母は、昼間は会社勤めをして、夜は近くのドライブインの食堂で食器洗いの仕事に行き、家に帰ったら今度は近所のおばちゃんから内職の仕事をもらってきて、おこたに入りながら肩こりに効く絆創膏の磁石を貼る作業をして…と、とにかく日がな1日仕事をしていました。

 

僕は今、当時の母の年齢をとっくに超えてますけど、母は、あの頃若かったので、女性として自分の人生を考えるチャンスもあったと思うんです。それでも、食べ盛りの子どもをひとりで育てる不安を抱えながら、どうにかして子どもたちにご飯を食べさせんとっていう強い思いで、日々必死だったんだろうと想像したら、もう感謝しかないですね。常に子どもを一番に思っていてくれたんだろうなと思うんです。

 

── ひとりで子ども2人を育てるのは並大抵ではないと思います。

 

彦摩呂さん:もう本当にすごいなと。しかも、どれだけ働いて帰って来ても、手作りのご飯を食べさせてくれたんですよ。昼間の仕事から帰ってきたら、ご飯を作って、「行ってくるわ」って今度は食堂の洗い場に行って。今でこそ、働くお母さんをサポートする冷凍食品やサービスってたくさんあると思いますけど、当時はそういうのがなかったから、手作りのご飯なんて、すごく大変だったと思うんですよ。

 

小学校のころは、毎日学校が終わったらザリガニを釣ったりして友達と遊んでたんだけど、家に帰ると母が「体中ドロドロやんか。早く服脱いでお風呂入り」って必ず声をかけてくれました。ハンバーグのときは家じゅうにケチャップの匂いが充満してて、僕には「今日はハンバーグなんや」ってわかって。それが嬉しくてね。