13歳で地元・山口を離れ、HKT48のメンバーとして、福岡でアイドル活動を始めた村重杏奈さん。当時は「弱みを見せられない」「かわいく振る舞えない」という葛藤を抱えていました。SNSで「不人気」と書かれ、実家に逃げ帰るほど追い詰められた村重さんを、再び福岡へ向かわせた家族の言葉とは。
後輩のバックダンサーになる屈辱に…
── 13歳から23歳までの10年間、HKT48として活動していらっしゃいました。特に最初のころは、アイドルらしい振る舞いができず、葛藤した時期があったそうですね。
村重さん:性格的に「かわいいより、おもしろいほうがいい!」というタイプだったので、いわゆるアイドルらしいかわいらしさを出すのが苦手で。ファンの方に「応援してね」とかわいくお願いしたり、あえて弱いところを見せたりするのが得意じゃなかったんです。周りの子ができているのに自分だけうまく立ち回れないことに落ち込み、「私ってアイドルに向いてないのかもしれない…」と思うことがありました。
でも、当時から「叩かれても強気でいよう」と思っていたし、明るく振る舞っていました。実は父が私の名前でエゴサしているんですよ(笑)。だから、SNSで「村重、不人気だなぁ」と書かれているのも、きっと目にしているだろうなと思って。それに対して私が弱気な発言をしたら、アンチの方からさらに揶揄されて、両親にどんどん心配をかけてしまうかもしれない。それなら「村重、人気ないくせに強気(笑)って書かれるほうが、まだいいな」と、若いながらに考えていました。

── それは何歳くらいのころだったのですか?
村重さん:15〜18歳ごろですね。両親のことを気にかけている反面、若気の至りというか、反抗期も重なって素直にはなれなくて。父や母が心配して電話でアドバイスをくれるのですが、「ステージにも立っていない人たちに、なんでそんなことを言われなきゃいけないの?」と、生意気なことばかり…。ケンカが絶えませんでした。
── 人気が出ず、周囲の優しさも素直に受け取れないなかで、追い打ちをかけるような出来事があったそうですね。
村重さん:そうですね…。当時のいちばんつらかった出来事が、後輩に当たる3期生のバックダンサーを務めたことです。私は1期生なんですが、後輩のバックダンサーをやるって、48グループのなかでも前例がなくて。結構レアな体験だったと思います(苦笑)。後輩はキラキラした衣装を着ているのに、私は真っ黒な服を着て、後輩の後ろで黙って踊らなければいけない。「もう落ちるところまで落ちたな」と、しみじみと感じたことを、今でも覚えています。
その経験があまりにショックで。これ以上「頑張る」ことを選べないと、アイドルを辞めるつもりで、実家に帰りました。