雪国ではない神奈川県相模原市から、カーリング女子日本代表としてミラノ・コルティナ五輪の舞台に立った小谷優奈さん。カーリング不毛の地から、なぜ世界で戦える選手が生まれたのか。現在、神奈川県カーリング協会の専務理事を務める父・靖広さんの語る言葉には、世に溢れる英才教育とは正反対の「ふだんの生活」に根ざした成長の原点がありました。

始まりは市の広報紙「週末ヒマなら行く?」と誘った小4の冬

── 優奈さんがカーリングを始めたきっかけは、お父さまの誘いだったそうですね。 

 

靖広さん:2003年、たまたまテレビでソルクレイク五輪を見ていて、私がカーリングに興味を持ったのが始まりです。市の広報誌で地元・銀河アリーナの教室を見つけて、私自身が面白そうだと思って始めたんですが、優奈が小学4年生のとき「週末にヒマしているなら一緒に行ってみない?」と声をかけました。

 

── そこから、将来を見据えた英才教育が始まったのでしょうか?

 

靖広さん:いえ。本人は淡々とやっていた印象です。私自身は趣味で競技している程度だったので、いわゆる元選手による英才教育とは程遠いですね。でも、競技にハマったんだと思います。19歳でまだジュニアの年齢でしたが、大人のカテゴリーで世界選手権に出場するレベルまでになりましたから。ただ、雪国ではない相模原では、続けていく難しさに直面しました。

 

── どういうことでしょうか?

 

靖広さん:カーリング熱の高い北海道や長野県と違い、カーリングを行える施設は市内にひとつだけ。競技人口も少ない。どうしたって、他の道に進む子が多いのが実情です。実際、優奈は中学と高校ではバレー部に所属していました。競技シーズンとなる時期は受験シーズンでもあり、そのタイミングで競技からフェードアウトする子も少なくありません。

 

でも彼女は高校1年生のとき、山梨のチームから誘われて、練習に参加することに。チーム加入後は金曜の放課後に電車で向かって日曜夜に帰ってくる生活を2年間送り、卒業後は実業団に入りました。親がやらせたのではなく、本人のセンスと継続する意志だったと思います。