「右から左へ受け流す」ネタで一世を風靡したムーディ勝山さん。芸風とは裏腹に、その人生にはどうしても「受け流せない」存在がありました。5歳で離別し、35年以上も音信不通だった父。突然舞い込んだ再会の機会、そして「孤独死」という形での永遠の別れ。父親の記憶をほとんど持たずに育ったムーディ勝山さんが、警察からの電話を受けて向き合った「父の最期」と、今、自身の子育てに込める想いを伺いました。
35年ぶりの再会、「おじいちゃん」になった父への戸惑い
── ムーディ勝山さんは5歳のときにご両親が離婚され、お父さんとはずっと疎遠だったそうですね。
ムーディ勝山さん:父と過ごした記憶はほとんどありません。旅行や一緒にお風呂に入った断片的な思い出はあるのですが…。その記憶も、もしかしたら写真を見て、脳が後から補足したものかもしれません。かすかに覚えているのは、晩酌中の父から「お前も飲んでみろ」と、お酒を飲まされたことくらい。今だったら「小さい子どもに何をしているんだ」と大問題ですが、昭和のおおらかな時代でしたから…。
母からは、父の酒グセや女性関係で苦労したと聞いていました。自由奔放な人だったのでしょう。母がシングルマザーとして、兄と姉と僕の3人を育ててくれました。

── 2018年、ムーディ勝山さんが出演していた東京都葛飾区のラジオ放送局「かつしかFM」の収録中、地元の人からお父さんが近くにいると知らされたそうですね。
ムーディさん:滋賀県出身なのになぜ葛飾に…と、ただ驚きました。どうやら父は周囲に「息子はムーディ勝山だ」と話していたらしく…。葛飾区は下町の人情が残る地域です。だから「せっかく親子が近くにいるんだから、きちんと顔を合わせないと」と、お膳立てをしてくれた方がいて、再会することになったんです。
父に会うのは35年ぶりでした。そのとき、父はめちゃくちゃ泣いて「ごめんな、ごめんな」と謝っていました。でも僕は、感動がまったくありませんでした。「この知らないおじいちゃんが僕の父親なのか」という戸惑いだけ。どういう感情を抱けばいいのかさえ、よくわからなかったです。「ずっと離ればなれに暮らしていた父との再会」という感じはなくて…。子どものころ見上げていたはずの背中は、思った以上に小さかったです。
その後も積極的に会おうとは思いませんでした。もし顔を合わせたとしても、何を話せばいいのか、何をしたらいいのか…とイメージがわかなかったんです。「孫に会わせたら喜ぶかもしれない」と考えつつも、コロナ禍もあって、なかなか次に会う機会は作れませんでした。父がどうして僕が芸人だと知っていたのかはわかりません。でも、ブレイクしたときに一度、母を通して連絡がきたことはあったんです。名字や出身地などで気づいたのかもしれないですね。