「養子であることは、私にとって特別なことではなかった」。特別養子縁組で育てられた志村歩さん。育ての親の深い愛に包まれ、周囲が抱く「養子=かわいそう」というイメージとは無縁の生活を送ってきました。しかし、思春期に生みの親と手紙のやりとりをした際に、強い憤りを感じたことがあったそう。ルーツに深く触れることが救いではなく、今の幸せを脅かす「リスク」にもなり得る──。当事者が抱く切実な葛藤に迫ります。

物心つく前から養子だと知らされていた

── 特別養子縁組制度を利用し、養子になった当事者として、現在は児童相談所や乳児院などで講演を続ける志村歩さん。養子の当事者が実名で経験談を語るのはあまり多くないと聞きましたが、ご自身が養子であると知ったのはいつごろですか?

 

志村さん:育ての両親は30代前半で、生後8か月ころの私を家族として迎え入れてくれました。1歳になるころからは、養子であることも告げていたそうです。生みの親が特別養子縁組制度を利用した理由は経済的事情や若さだと伝え聞いていますが、本当のところはわかりません。

 

養親・里親が、子どもに対して、生んでくれた人がほかにいること、生んでくれた人にはいろいろな事情があって育てることができなかったこと、育ての親は子どもを育てることを心から望んで家族に迎えたという真実を伝えることを「真実告知」といいます。ここ10年で、出自を知る権利を尊重する機運が高まり、真実告知への意識が高まり、早い段階で容姿や里子であることを知らせることが主流になりつつあるようです。真実告知が行われる年齢は人それぞれですが、当時の私のケースはかなり早いほうだったと聞いています。

 

── 特別養子縁組は生みの親との法的な親子関係を解消し、養親と実の子と同じ親子関係を結びます。ご自身が養子だということについて、どのように感じていましたか?

 

志村さん:今に至るまで自分が養子だという事実は、血液型と同じように単なる「情報」という感覚です。幼稚園のころは、母親という存在が自分にふたりもいるなんてと素晴らしいと感じていました。育ての両親が私を一生懸命育ててくれたので、母親は温かい存在と認識していたんです。

 

そのため、「僕にはママがふたりいる」と、周囲にも素直に自慢していたんですよ。でも、幼稚園の年長のとき、あるお母さんが怖い顔をして「歩ちゃん、そういうことは誰かれかまわず言うものではないのよ」と、教えてくれました。おそらく、私のことを考えての言葉だと思うのですが、私は世の中が養子に抱くイメージは知りませんでしたし、自分が養子であることを隠す必要も特に感じなかったので、周囲にはそれまでどおり伝えました。

 

志村歩
育ての両親からもらって大切にしていたクマのぬいぐるみを持つ1、2歳のころの志村さん

── その方は、親切心でアドバイスしてくれたのでしょうね。

 

志村さん:特別養子縁組制度を利用した事実を、どうとらえるかですよね。「かわいそう」「命をつなげてよかった」など、さまざまな見方がありますが、当時、私は育ての親に育ててもらえて幸せだと思っていたので、「まわりに言っちゃダメ」と言われて不思議に感じました。

 

小学校でも変わらず周囲に事実を話しましたが、2歳年下の養子である妹が入学してきた時点で方針を変えました。自分が養子なのはいいとして、本人が知らないところで妹を巻き込むのはよくないと考え、「妹は実子だ」とみんなに言ったんです。同級生からは、「お前だけかわいそう」「もらわれた子なんだ」「拾われたんだね」という反応が返ってきました。