「3畳の物置で暮らし、雑草を食べていた過去を、知られるのが怖かった」。ドラマやバラエティ番組などで活躍する緑川静香さんは長年、みずからの生い立ちを隠し、偽り続けてきました。しかしある番組がきっかけで思わず極貧生活をさらけ出したところ…待っていたのは予想外の反響と、貧しさがくれたかけがえのない財産でした。自分を縛っていた嘘を脱ぎ捨てた先にあった、新しい景色に迫ります。

貧乏で買えなかったお菓子につられて芸能界入り

緑川静香
幼少期の緑川さん

── 俳優としてご活躍の緑川さんですが、芸能界に入ることになったきっかけを教えていただけますか?

 

緑川さん:高校1年生のとき、地元のデパートで雑誌の編集部の方に声をかけていただいたのがきっかけでした。もともと、小学校のころかひとりでお芝居を演じることが好きだったので、俳優には少し興味があったのですが「モデル」というお仕事にはまったく興味がなくて断ったんです。

 

でも、その後も熱心に声をかけ続けてくださって、最後の最後にポロッと「撮影現場にはお菓子がいっぱいあるし…」と言った言葉がものすごく刺さって(笑)。「え!そうなんだ!!キットカットはありますか?」って聞いたら「あります!用意します!」って。それでスカウトをお受けすることにしたんです。貧乏でお菓子が買えなかったからお菓子を食べたい思いが勝ってしまって。当時の私は父が蒸発し、3畳の物置を間借りして親子3人で暮らしていて、極貧生活をしていたんです。ピーク時はお菓子どころか食事にも困り、雑草を食べていたころもあったので。お菓子がすごく魅力的で(笑)。

 

── お菓子がきっかけだったんですね。とはいえ、誰でもスカウトされるわけではありませんから光るものがあったのだと思います!お母さんや学校の友達も「すごい」となったのではないでしょうか?

 

緑川さん:『Seventeen』という雑誌に出ることになり、お仕事のときは編集部のある神保町まで電車を乗り継いで出かけていました。雑誌に出て、お友達もびっくりしてましたね。母子家庭で極貧生活をしていたので、高校生になりアルバイトができるようになり、雑誌のお仕事もたまに入って、少しですが経済的に母の力になれることがすごくうれしかったです。とはいえ、モデルのお仕事でもらったギャラはほとんどが交通費で消えてわずかしか手元に残らなかったのですが。残ったギャラはもちろんすべてお母さんに渡していました。

 

初めて雑誌に載ったとき、母は発売日になんと2冊も買って来たんです。2冊といえばおよそ1000円ぐらいなんですけど、当時のわが家にとってそれは大金でした。私は「食費に充てられるのに何で2冊も買っちゃったの」と思ったんですが、母がすごく喜んでくれている様子を見ていると「恩返しの仕方として、お金のことだけじゃなく、自分が頑張っている姿を見せるということもありなんだ」ということに気がつきました。それで「芸能界だったらそれができる!」と思って、そこから真剣に仕事に向き合い始めました。