誕生日ケーキを買う余裕がなければ砂で作り、ピクニック代わりに食糧となる雑草を探しに行く。父が蒸発し、5歳から3畳の物置での極貧生活を余儀なくされた俳優の緑川静香さん。傍目にはどん底と思える日々を、今あえて「明るく前向き」に語ることができるのは、その時間を笑いに変えた母の愛に包まれていたからこそ。あまりに深く、たくましい、母と子の絆の物語です。
布団もなかった物置での親子3人暮らし

── 現在俳優として活躍する緑川さんですが、2012年にバラエティ番組で貧しい生活をしてきた過去を告白され、話題になりました。「極貧」だったという幼少期の生活はどのようなものだったのでしょうか?
緑川さん:5歳のころに父が蒸発して社宅を出ることになり、母と兄と私は住む場所を失いました。母は働きに出ていましたが生活が苦しく、他人の家の3畳の物置を間借りさせていただいて。結局、高校3年生までそこに住んでいました。部屋の壁は泥壁で、触るとポロボロと落ちてくるような古いつくりのものでした。
最初は布団もなかったので、寒さをしのぐべく段ボールで寝ていました。公園のホームレスのおじさんに粗大ごみの曜日や場所を教えてもらって、「今日はお布団捨てられているかな?」と、毎回見に行ってようやく布団をゲットしたりして。
当初は本当に食料もなく、公園の雑草とかスーパーの試食とかで空腹をしのいでいる状態でした。それなのに母は、「今日も雑草探しに行くよー♪」みたいな感じで明るいので、なんだかこっちも楽しくなってくるっていうか(笑)。「雑草を日光に照らして食べるといいんだよ」と、母が言うんです。今思うとなんの根拠もないのですが、手を掲げて太陽に照らして食べると冒険感覚でワクワクしていましたね。
── 最初は布団もなく、寒さや空腹に耐えるなど、かなり過酷な生活でしたね。
緑川さん:冬は多少寒くても、段ボールが結構あたたかいんですよ。食べ物も、最初は雑草から始まり、その後は食用として流通していない「くず米」(※規格外で食感がよくないことから食用販売されず、加工品の原料に使われたり、飼料にされたりするお米)と呼ばれるものがあるんですけど、そういうお米を食べてしのいでました。あとはスーパーの試食コーナーにも助けられました。試食の販売員の方が顔を覚えてくれて、小学生だったこともあり、試食を多めにくれるなど優しくしてくれて、本当に助けられました。
小学校に入ってからは給食に助けられました。土曜日は午前授業でしたが、お昼ご飯は友達の家で食べさせてもらったり、休日には映画やプールにも連れて行ってもらったりと友達家族にも本当にお世話になりました。