真面目でウイットがあって誠実で、お茶の間の人気者だった元アナウンサーの逸見政孝さんが他界して、32年が経ちました。息子の太郎さんも、同じようにテレビの世界で活躍。超有名アナウンサーの息子として、多感な時期を過ごした葛藤や、「もっと親父と話したかった」今を聞きました。
家では「風呂、飯、寝る」だった父
── 昭和を代表するアナウンサーとして、お茶の間に愛された故・逸見政孝さんが1993年の48歳の若さでこの世を去ってから30年以上が経過しました。ニュースからバラエティーまで幅広く活躍し、知的でありながら明るくユーモアのある姿が印象に残っています。家庭ではどんなお父さんでしたか。
逸見さん:私は16歳から留学していたので、それ以前の記憶が中心になりますが、ひと言で言えば、「厳格な昭和の父」でしたね。とにかく仕事一筋で、家での会話といえば、「飯、風呂、寝る」。まさに「THE 亭主関白」という感じでした。父はつねに忙しく、家にいても多くを語る人ではありませんでした。だから、一緒にキャッチボールをしたりといった親子らしい時間は、残念ながらほとんどなかったんです。

── 有名人の息子ということで、周囲からの視線は避けられない環境だったかと思います。学校生活では理不尽な思いをされたこともあったとか。
逸見さん:父がテレビに出ている以上、どうしても「逸見の息子」として好奇の目で見られてしまう部分はありました。私自身、どちらかと言えば目立つタイプだったので。幼いころから野球を習っていて、体を動かすことが大好きな、いわゆるスポーツ万能なタイプで、野球をやりたくていろんなクラスから仲間を集めてくるようなガキ大将的なところもありました。学校でもつねに活発に動き回っているような生徒だったこともあり、同世代の子どもだけでなく、僕の存在をおもしろく思わない先生もいたようです。
いじめというほどではありませんが、小学校の休み時間に「野球をやろう」といろんなクラスから仲間を集めていると、ある先生がそれを阻止しようとわざと他のクラスと休み時間をずらしてきたり、「野球ばかりせずにサッカーもやれ」と生徒に命じたり。明らかに私を狙った嫌がらせに感じる場面がありました。
いじめが始まったのは、小学校高学年のころです。当時、フジテレビの看板番組だった『オールスター家族対抗歌合戦』に出たことで上級生から絡まれたり、テレビで歌った歌を目の前で合唱されたりと、執拗にいじられるのがすごく嫌でしたね。中学校に入るとさらにエスカレートし、他校の不良たちが校門で待ち構えていて、理由もなくボコボコに殴られたことも。当時は『ビー・バップ・ハイスクール』が流行っていたヤンキー全盛期でしたから、かなり過激でした。