海難事故の実態や遺児のことを伝え続けたい

── どうやってその状況を打開されたのですか?

 

鳥羽さん:全国の漁協(漁業協同組合)のみなさんの協力のおかげです。募金に加えて、漁協の方々がお金を出し合い寄附してくれるようになったんです。

 

コンサートだって漁協の方々の協力なくしては成り立ちません。漁港のステージは漁師さんたちの手作りでね。たくさんの横断幕を掲げて、盛り上げてくれます。「鳥羽一郎ってのはよ、いまは歌を歌っているけど、昔はマグロ船に乗ってたんだ、俺らと同じ仲間なんだって…」、そんな気持ちで迎えてくれるわけです。

 

── 35年以上も続けられているのはすごいことだと思います。コンサートの各種費用を負担したり、スケジュールをやりくりしたりするのも大変なはずです。

 

鳥羽さん:簡単にはやめられない。回を重ねるごとに海難遺児への思いが強くなっていきました。いまでは、コンサートをやるだけでなく、「もっと何かできないか」という感情が出てきています。そうした考えに至ったのは、海難遺児の文集を読んだのが大きいですね。先の育英会で編集されたその文集には、海の事故で父親を失った家庭の風景が、遺児たちの目線で綴られています。

 

たとえば、父親を失い、家では母親が大黒柱として働かなければならない。かといって仕事は簡単にみつからない。結局、夜の商売に就かざるを得ず、母親は化粧をし、着飾って出かける。その様子を近所の人が見て、「あそこは育英会からお金もらっているから裕福なんだ」と陰口をたたく…。こうした日常を、遺児自身は知っているんです。

 

また、幼い遺児だと、幼稚園で他の子どもはお父さんとお母さんの両親がそろって迎えに来るけど、自分はお母さんしか来ない。デパートに行くといろんなものが売っている。もしかしたら、お父さんも売っているかもしれない。そう思って、お母さんに「お父さん買ってきて」と、せがむといった話があります。

 

鳥羽一郎
2013年発表のシングル。出所者の心に響く歌として知られる

── どちらもせつなさが表れています。つらく、さびしい生活を送らざるを得ない一面が潜んでいるのですね。

 

鳥羽さん:海難遺児の存在を知らない人は少なくないと思います。できたら関心を持ち、手を差し伸べてもらいたい。じつは海難遺児の文集をもとに、映画を作れないかなあとも考えているんです。海難事故や遺児の実態を知ってほしいのと、遺児たちが残す言葉やエピソードは多くの人の胸を打つ物語になるはずだからです。映画製作は大きな費用も必要ですし、実際にできるかどうかわからないですけど、私が目指している夢でもあります。

歌を通じて社会に貢献を

── チャリティーコンサートはもうすぐ100回目になります。

 

鳥羽さん:ひと区切りの100回を終えるのが目標。あと6回だから、頑張って達成したいです。チャリティーコンサートはずっとひとりでやってきました。ただ、80回の後半からは、歌手としても活躍するせがれをゲストに呼ぶことが多くなっています。長男の木村竜蔵、次男の木村徹二です。兄弟ふたり一緒に参加してもらい、ポップデュオ「竜徹日記」として登場することもあります。

 

── 海難遺児の支援活動はライフワークに。原動力はどこにあるのでしょうか?

 

鳥羽さん:みずからも社会貢献に力を注ぎ、私にもすすめてくださった船村先生の存在がすべての原点です。前述した先生の言葉があったからこそ、長年、活動を続けてこられたのかもしれません。これからもできる限り、歌を通じて社会貢献していきたいと思っています。

 

取材・文/百瀬康司 写真提供/鳥羽一郎