36歳でシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーになるまで、何度も挫折を味わいながら夢を追い続けてきた池田一葉さん。ようやくつかんだステージの最中、突如として「乳がん」を告げられます。絶望の先にあったのは、再び立ち上がる力と生きる意味を見つめ直す時間でした。

スタートの時点で遅咲きだった

池田一葉
大学卒業後渡ったロサンゼルスでは会社員をしながら下積みを重ねた

── 池田さんがシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーになったのが36歳のときということですが、ダンサーのキャリアとしては遅咲きなのでしょうか?

 

池田さん:ほかのプロダンサーと比べてもかなり遅かったと思います。そもそもダンスを始めたのが高校生のときで、スタートも遅かったんです。きっかけは友人から「ダンスのレッスンに行きたいんだけど、恥ずかしいから一緒について来て」と誘われてのことでした。でも、その友人より私の方がダンスにのめり込んでしまって(笑)。大学に入ってからプロのダンサーを目指し始めました。

 

── 学生時代、ダンスを学びにアメリカに行ったそうですね。

 

池田さん:すでに周りの仲間のなかには、ダンサーとして仕事を得ている人もいました。スタートが遅かったぶん、「ここから周りに追いつくには、ダンスの本場に行くしかない!」と思い、親に頼み込んで大学を休学し、ロサンゼルスに渡ったんです。

 

── 実際、本場のダンスはどうでしたか?

 

池田さん:やはり世界中からダンサーを目指している人が集まってくるので、レベルの高さが半端ないと感じました。私はストリートダンスをやっていたんですが、たとえばジャズダンスやバレエなどほかのダンスの基礎は持ち合わせていませんでした。でもロサンゼルスにいるダンサーは、すべてのジャンルがひと通りできるんです。ヒップホップダンサーであっても、バレエの「ピルエット」というくるくる回るスキルを持っているのは衝撃でした。