真夏に水道が止められていた父親が歓喜

清人
2児のパパである清人さん

── 地元で暮らすお父さんはお元気なんですか?

 

清人さん:いまは老人ホームにいます。2~3年前に自宅で倒れて、発見されたときは45分くらい心臓が止まっていたそうなんです。酸素が脳に通っていない時間が長いので、命の危険があるし、助かっても植物状態かもしれないと。病院から「覚悟してください」という電話がありました。ひとまず一命はとりとめて入院したのですが、医療用モニターからアラームが鳴ると電気ショックをする繰り返しで、もう楽にさせてあげたいと思うくらいつらかったです。でも2週間後、目が開いてピョコンと歩けるようにもなって生き返ったんです。ただ、認知症が始まってきており、またひとりにするのが不安だったので、老人ホームに入居してもらうことにしました。

 

── 病気の前兆は何かあったのですか?

 

清人さん:どちらかというと、病気になりに行くような生活でしたから。水分摂取はお酒だけで、ごはんを食べない。タバコをずっと吸っているし、部屋はゴミ屋敷。親兄弟も亡くなって、僕も東京で自分の家庭を築いているし、完全にひとり身だからどうなってもいいという考えがあったのかもしれません。いまは老人ホームで健康的な暮らしをして、お酒も飲んでいないので、びっくりするくらいまじめに生活をしています。

 

── 過去に音信不通になったこともあると、ラジオで話していらっしゃいました。

 

清人さん:僕が契約した携帯電話を渡していたんですけど、自分で払うと言っていた月額2000円が払えなくなったのか、電話が通じなくなったんです。夏休みだったし、家族を連れて親父の家に行ったら鍵が閉まっていて、ドンドン玄関のドアを叩き続けたらやっと親父が出てきて。修行僧くらい汗だくで、かりんとうみたいに水分なくなってて「大丈夫?」と聞いたら「電気も水道も止められてる」って笑ってるんですよ。「これが自然に生きるってやつやんなぁ」とか言い出して。

 

とにかく真夏に水道も電気も止められてるのはマジでやばい、と思って水道代とか払いに行ったんですよ。で、水道のホースからいつ開通するかみんなで待っていたら、しばらくして「プンッ」て音がして水がピューッと出たんですよ。もうアフリカで井戸を掘り当てたぐらい、「やったぁ、水が出た!」って親父が歓喜してました。

 

── そんなことがあったんですね。

 

清人さん:その後みんなでごはんを食べて、別れ際に妻が1万円を用意して「私から渡すとバツが悪いやろうから、きよちゃんからお父さんに渡して」と言ってくれました。それで僕が「親父、これ…」と1万円札を差し出したら、ものすごいスピードでパッとお札を取ったんですよ。スーパースローじゃないと見えないカメレオンの舌くらいの速さで。あの反応がすべてを物語っているというか。相当お金に困っていたんだと思います。

 

── 目が不自由ながら、母親がいない清人さんを育ててくれたおばあちゃんは、清人さんが何歳のころに亡くなったのですか?

 

清人さん:35〜6歳のころですかね。ばあちゃんは体が弱ってから老人ホームに入っていました。亡くなるまでの8年半、僕がずっと老人ホームのお金を払って面会にも行っていたんです。老人ホームに払うのが毎月8万円くらいだったのですが、当時はギャラが10万円に満たないような月もあったわけです。そういうときは滞納させてもらいながら、どうにか払い続けていました。緊急連絡先も僕になっていたので、ばあちゃんの心臓が弱くなるたびに延命治療について聞かれていたのですが、最後は無理な延命措置はせず、自然な形で亡くなりました。91歳でした。

 

── 清人さん現在47歳。自分が子どもだったころのおばあちゃんやお父さんの年齢に近づき、追い越すなかで、いま改めて思うことはありますか?

 

清人さん:僕はきょうだいがいないので、思い出を共有して一緒に笑い合ったり、懐かしがったりできる人がもうほとんどいないんですよね。目が不自由なばあちゃんのお世話をしながら、大人に囲まれて育ちましたが、年が近い家族がいない。親父もいま認知症が進行しているので、あの当時の暮らしのことを覚えているのは、もう僕しかいないんです。

 

保育園でなかなか周囲の子どもになじめずにいたことや、ばあちゃんとのつらくて楽しかった日々がなくなるのだけは嫌だと思って『おばあちゃんこ』という漫画を描きました。誰の記憶にも残らなかったら、僕や家族の過去が報われないだろうと思って形に残したかったんです。

 

学生時代はお笑いと絵が大好きで、その両立がすごく大切でした。どうしてもお笑いやりたくて芸人になって、いまは絵を描くのが得意な芸人という感じですが、どちらも仕事にできていると思うと不思議ですし、あのころがいまにつながっていたんだと思うと感慨深いです。

 

取材・文/富田夏子 写真提供/清人