ブロードウェイでのキャリアを持つ菅美紀さんは、不育症により3度の流産を経験後、お子さんを1人出産しました。けれど「子どもを産めば悲しみは癒える」とはならず、葛藤を抱えながら母となった日々を過ごします。その経験から、同じ思いをする人に寄り添う「ピンク&ブルーリボン運動」へと歩みを進めました。(全2回中の2回)

4回目の妊娠で出産「幸せなはずがいつも…」

菅美紀
流産を経験した当事者として、現在は自助サポートグループ「ANGEL's HEART」を主宰している菅さん(右)

── 菅さんは不育症により3度の流産を繰り返した経験をもとに、当事者が集まれる場を開催されていると聞いています。その後、4回目の妊娠で出産されたそうですが、妊娠期間はどのように過ごしていましたか?

 

菅さん:妊娠がわかっても喜べませんでした。また同じことになるのではないかという思いはずっとつきまといました。でも3回も流産を経験していると、悲しいことにエコーに映った瞬間に赤ちゃんが育っているかわかるようになるんです。4回目は明らかに違う気がして「大丈夫かもしれない」という希望と「また亡くなるかもしれない」という思いと両極端な気持ちを抱えて過ごしていました。

 

── 生まれるまでの約9か月、恐れを抱き続けて過ごすのは大変ですよね。

 

菅さん:幸せなマタニティーライフとはほど遠かったです。2度目の流産の後に不育症検査を受け、原因不明ではあったものの、流産を繰り返していたため、不育症の治療をしていました。そのため、妊娠中は1日2回、自己注射を打たなければならなかったのですが、痛いし、あざだらけになりながらひとりで注射を打つ孤独感と、打たなければ赤ちゃんが亡くなるかもしれないという恐怖心があり、泣きながら注射を打っていました。でも治療から2か月経ったとき、副作用で肝臓の数値が3倍近く上がってしまい、苦渋の選択で不育症の治療を中断せざるを得なくなってしまい…赤ちゃんが無事に育つのか不安すぎて、臨月になるまでベビー用品をそろえることもできませんでした。切迫早産で絶対安静にもなり、本当にピリピリしながら過ごしていたと思います。

 

── その後、出産されて、何か気持ちに変化はありましたか?

 

菅さん:正直「子どもを産めば、それまでの悲しみがなくなる」と思っていました。でも実際はそうではありませんでした。赤ちゃんの成長を見ながら「あの子たちがもし生まれていたら、こんなだったのかな」「今ごろどんなふうに育っていたんだろう」という思いが巡ってしまうんです。産まれた子にミルクをあげながら、幸せなはずなのに、亡くなった子たちと生きている子への想いに涙することもありました。

 

── 悲しみが癒えていなかったんですね。

 

菅さん:それでも「せっかく無事に子どもが産まれてきてくれたんだから」と、悲しい気持ちを見て見ぬふりをして蓋をしてしまったのと、産まれた子を大事にしすぎるあまり、周囲に頼ることをしませんでした。

 

── 初めての育児は、誰でも悩みがあると思います。

 

菅さん:ある日、夜泣きであまり眠れてなくて、「ちょっとつらいなぁ」と悩みをポロっとこぼしたとき、流産のことを知っていた身近な人に「あんなに大変な思いをしたのに、ぜいたくな悩みね」と言われたんです。

 

── それは…つらい言葉ですね。

 

菅さん:でも私自身、「これだけ望んだ子どもだから、ちゃんと育てなくてはいけない」「愚痴なんて言ったら罰が当たる」と思っていた節があったんです。だからそう言われたとき、「やっぱり弱音は吐いてはいけないんだ」と思い、それからは悩みを誰にも相談できなくなっちゃって、赤ちゃんの健診でも「困ったことはないです」「大丈夫です」と、相談したいのに平気なふりをしていました。

 

ただ、その自分を追い込んでしまったのは育児が根源ではなく、赤ちゃんを亡くしたときのグリーフ(大切な人を亡くした悲嘆)がずっと続いていたことが大きかったと思うんです。

 

── 3度の流産で感じた悲嘆を打ち明ける場がなかったのですね。
 

菅さん:そうなんです。誰にも言えないまま抱え込み続けていました。その思いに蓋をしたまま育児に向き合うことで、そこから派生するさまざまな感情があふれてきてしまって…交流の場に行けば、きょうだいの話になり、そのたびに、複雑な気持ちになることがありました。でも、そうしたことを周囲には話せなかったんです。「いつまでもそんなことにとらわれている」と思われたくなかったですし、癒えていないことを認めるのも怖かった。だから平気なふりをしてしまったのだと思います。

 

こうした妊娠中の不安や産後の葛藤が昇華できず、私は次の子を諦めました。でも同じ経験された方々や助産師さんたちと出会い、もっと早く知り合えていたなら、もう少し頑張れたかもしれないと思うのです。誰かを頼ること、理解してくれる人を探し助けを求めることの大切を知ってもらえたらと思います。