大病で「いつか故郷に」のタイミングを掴んで

── 東京と和歌山では環境によっても、食生活はずいぶん変わりそうですね。
HIROさん:全然、違います。東京は誘惑が多いし、魅力的な店も多いでしょ。ご飯に誘われたら深夜でもすぐ行ったけど、和歌山ではほとんど誘われることはないし、誘われないなら今日は夜食わんでもええかって思ったりして。
── 移住のきっかけとなった脳出血を患った際、一時は生存率20%とも言われたそうですね。大病をして人生観が変わる人もいますが、今の心境はいかがですか?
HIROさん:人にもっと優しくしようと思うようになりました。もともと優しくなかったわけじゃないですよ(笑)。でも、たくさんの人がお見舞いに来てくれてすごくありがたかったし、感謝もしたし、うれしい気持ちになったから、今度は僕が困ってる人を助けようかなって思ったんです。
以前は人が困っててもあんまり気にしなかったんですよ。別に俺、困ってないしなって。でも、今は知らないおばあちゃんが大きな荷物持ってたら声かけようかなって。たまに「私、そんなババアじゃないわ」とか言われることもあるんだけど。
すべての病気が努力や根性で治るわけではありません。でも、自分がこれだけ回復できたことを考えると、そうした自分の気持ちや頑張り次第で、体が変わってくることもあるんちゃうかなって思いますね。
── 和歌山に戻って7年ですが、今の生活は満足されていますか?
HIROさん:和歌山に住んで幸せを掴みました。東京にいるときも絶好調だったけど、和歌山に来てさらに絶好調だなって。ものすごく楽しいんですよ。自然が豊かだし、人はあたたかいし。東京って人が多いじゃないですか。ごちゃごちゃしてるのが嫌やったけど、和歌山はぜんぜん人が多くない。電車に誰も乗ってないときがあるし。こっちに帰ってきて、のんびりした幸せ掴んでよかったです。
── 和歌山、東京の2拠点生活ではなく、完全に和歌山に拠点を移されたのですね。
HIROさん:はじめは東京で小さいマンションでも買って、東京と和歌山の2拠点生活を考えたんですけど、東京のお仕事は年間通したらそんなにないし。仕事があるときは、軽自動車で和歌山から東京まで、高速を使わないで下の道で15時間くらいかけて行っています。各地のお土産屋さんを巡りながら行くので楽しいんですよ。安田大サーカスとして3人の仕事もありがたいことに結構あるので、月に多くて3、4回、なんだかんだ2人ともちょいちょい会ってます。
もともと、いつか和歌山に帰りたかったので、病気になったときにやっと戻るタイミングやなって思いました。あと、和歌山に戻ってきた2年後の19年におかんが亡くなったんです。今は親父と同居してるんですけど、兄貴はトラックの運転手なので何日か家に帰ってこないことがあるし、親父も歳なのでいちおう僕が見とこうって感じでやっぱり和歌山にいた方がいいかなっていうのもあって。和歌山を拠点に仕事したり、野菜を作ったり…自分のペースで活動するのが今は合っているのかなと思っています。
取材・文/松永怜 写真提供/HIRO