復帰する気はなかったけれど芸能界が居場所だった

── 俳優として生きていこうと本気で考えたのは?

 

萬田さん:出産後でしたね。29歳のとき長男をニューヨークで出産しています。もともと子どもが欲しくてしょうがないというタイプではなかったけれど、大切な人の子どもを授かって。ニューヨークに行ったとき、日本にはもう帰ってくるつもりはありませんでした。ここで子どもと一緒に生きていこうという気持ち。事務所にも了解をとって、決まっていたお仕事を全部消化して、コマーシャルも契約終了を待って。知らないうちにフェードアウトします、という話に内々でなっていたんです。自分では本当に区切りをつけて行ったつもりでした。

 

でも、出産後、いろいろオファーをいただくうちに、ズルズルと日本に帰ってきてしまいました。そのとき「やっぱりこの仕事が合っているな」と思って。自分にとって、専業主婦より魅力があるなと思ったのかもしれません。もともと華やかなことや、派手なことが好きだから(笑)。だんだんありがたみを感じながらお仕事ができるようになりました。

 

── 現在は幅広い作品に出演し、存在感を発揮されています。俳優としてのやりがいや芝居の楽しさを感じるのはどんなときですか?

 

萬田さん:「やっぱりほめられるとうれしいですね(笑)。たとえば監督に「よかったよ」というひと言をいただいたとき。カメラマンに「キレイだね」とほめられたり、スタイリストに「今日もおしゃれね」と言われたり、スタッフから「ご機嫌ですね」と声をかけられるときも。そして、ボーイフレンドから「素敵だね」って、言われたらもう絶好調。

 

 

ミス・ユニバース日本代表から朝ドラの準主役を皮切りに、ドラマや映画など役者としての道を歩んだ萬田久子さん。ただ、人生は万事順調だったわけではなく、最愛の愛犬や人を亡くしました。それでも家族や友人など、人に恵まれたことで人生に彩りが与えられたといまの心境を明かしてくれました。

 

PROFILE 萬田久子さん

まんだ・ひさこ。1958年4月13日生まれ、大阪府出身。1978年にミス・ユニバース日本代表選出され、1980年NHK連続テレビ小説『なっちゃんの写真館』で俳優デビュー。テレビ、映画のほか、CM、ファッション誌などでも活躍。著書に『萬田久子 オトナのお洒落術』(講談社刊)。

 

​取材・文/小野寺悦子 写真提供/グランパパプロダクション