叔母が勧めてくれたミス・ユニバースでは日本代表に選ばれ、芸能界に飛び込むといきなりの朝ドラ準主役に抜擢。それでも、挫折を感じたと話す萬田久子さん。若きころの成長と葛藤がありました。(全4回中の3回)
叔母に勧められて出場したミス・ユニバース
── 小さいころはどんな少女でしたか?当時の夢はやはり俳優さんだったのでしょうか?
萬田さん:小学生のころからすでに背が高くて、学級委員もやっていたから、みんなのお姉さんみたいな存在でしたね。あだ名は「まんぶー」(笑)。大きかったからなんとなくみんなに頼られたりして、それでしっかりせざるを得なかった、みたいなところがありました。小学6年生のときに学校で大阪万博に行ったんですけど、そのときの集合写真がおかしくて。クラスのみんなが背の順に並んでいて、いちばん前にいるのは小さい子。背の順でいうと私はいちばん後ろだけれど、学級委員ということでいちばん前になって。小さい子の隣に並んでいるともう先生みたいなの(笑)。
子どものころは「魔法使いになりたい!」と言っていたらしいですが…(笑)。将来のことなんて考えたこともなかったです。ただ、スチュワーデスに憧れはありました。CAという言葉がまだ使われていなかった時代です。『兼高かおる世界の旅』(TBS)という旅番組があって、それを観て外国に憧れて。スチュワーデスならあちこち行けるだろうと、外国に行く手段として考えたんだと思います。
── 20歳のときミス・ユニバースに出場し、日本代表に選ばれています。コンテスト参加のきっかけは何だったのでしょう?
萬田さん:コンテスト出場は叔母の推薦でした。ある日、「ちょっと久子ちゃん、写真ちょうだい」と叔母から言われて。当時としては珍しく身長が170センチ以上あった叔母は、ミス・ユニバースに憧れを抱いていたようで、自分の夢を私に託したのだと思います。私自身、年齢的にもちょうど女性っぽくなってきた時期でした。美に目覚めるお年ごろだったのでしょう。友だちと「やせよう!」と言って、一緒にダイエットして。一時期はキャベツばかり食べていましたね。最終的に25キロほどやせています。

お風呂屋さんで体重計に乗るたびに体重が減っていき、それを見るのが単純に楽しかったんだと思います。やせてすっきりした私を見て、叔母はコンテストに応募を決めたのかもしれません。でも私自身ダイエットをしたのは、別にミス・ユニバースを目指そうとした訳ではなくて。地元は大阪の下町で、ミス・ユニバースなんて遠い世界の話でした。だから、叔母の後押しがなければ出場も考えなかったし、まして自分が日本代表に選ばれるなんて思ってもいませんでした。
日本代表決定戦の様子は当時テレビで放映されていて、ものすごい視聴率でした。30%くらいあったのではないでしょうか。ミスコン自体が少なかった時代で、それだけ話題になったし、注目もされた。本当にあれで人生がガラリと変わった感じです。なんだか不思議な人生だなって、自分でも思います。