居酒屋を営む実家で育った益若つばささん。その独特な家庭環境で学んだことが、高校2年生になる息子の子育てや自身の人生観にも影響を及ぼしているようで。(全4回中の4回)

「人の目線で察しないと遅い」と母に言われ

益若つばさ
ギャル時代の益若つばささん

── 益若さんのご実家は居酒屋を営んでいるそうですが、益若さんの子ども時代はご家族やお店の影響を強く受けているそうですね。

 

益若さん:今思えば独特な家庭環境でした。お店には毎日いろいろお客さんがやってきましたが、私は店のカウンターで宿題をしたり、ご飯を食べたり、ときには知らないおじさんたちから声をかけられることがよくありました。「俺がこうした、ああした」といった話を聞きながら、どんな反応をしたら相手が喜ぶのか、子どもながらに見ていたし、大人の社会を垣間見ながら学ぶことは多かったと思います。

 

── ご両親が料理をしている姿を見ながら、益若さんも料理を自然と学んでいったとか。

 

益若さん:味に関することはもちろん、この順番で作ると温度がちょうどいい、流れがスムーズといったことから、人に食事を出すタイミングや食器を下げるタイミングまで、幅広く学びました。あと「いちいち言葉で言われなくても、人の目線で気づかないと遅い」と母から聞かされてきて。姉も厳しく、「人のために働きなさい。なにかしてもらうのが当たり前だと思わないように自分から動きなさい」と言われてきたので、相手に対する気づかいや想像力が鍛えられていった気がします。

 

── 益若さんは現在、高校2年生の息子さんがいらっしゃいます。そうした幼少期の経験は、益若さんの子育てにも影響していると思いますか。

 

益若さん:影響していると思います。息子にも人に対する気づかいや想像力はずっと伝えてきたつもりだし、周りのお母さん方と比べると、私はどちらかというと厳しいほうかもしれません。本来、性格的になんでもやってあげたくなるタイプなんです。でも、過保護に育てたくなかったし、大事なことは濁さず、めんどうくさがらず、お互い話し合う努力は重ねてきたと思います。

 

あと極論、私が明日から病気やケガで何もできなくなっても、人に頼ることも含め、自分の力で生きられるような育て方はしたいなと思ってきました。2022年には骨盤骨折で9か月の休業を強いられたし、途中で帯状疱疹を患ったりと大変な思いもしました。元気なつもりでもいても、いつ、何が起きるのかわからない。いざ何か起きてから慌てるのではなく、あらかじめ、自分のことは、ある程度は自分でできるようにしておいてもらえたら、とは思っています。