夫の介護に育児「生活費のために仕事も始めて」
── 夫婦で懸命に治療に向き合ってこられたことが伝わってきます。
根津さん:彼は寡黙で忍耐強い人なので、うつから抜け出そうと、懸命にもがいて苦しんでいました。気力がわかないことを嘆いたり、夫や父親らしいことをできない自分を悔しがったり。その日の状態をこまかく日記につけるなど、病と真正面から向きあおうと一生懸命でしたね。
一方で、頭を悩ませたのがお金の問題でした。夫の治療費と子どもの教育費でお金がどんどん減っていきました。そこで、家族の生活費を稼ぐために、私が働いて家計を支えることにしたんです。職探しは難航しましたが、ご縁があって「QVC」というテレビショッピングでアクセサリーブランドのプロデュースの仕事を始めることに。紹介する商品が次々と好評を呼び、経済的にもなんとかやっていけるようになりました。
── 介護と仕事、育児の両立で、さぞや大変な日々だったと思います。
根津さん:夫の体調やメンタルの状態に気を配りながら、子どもの世話に加え、心のケアにも気を配らなくてはいけません。夫は顔が知られていましたし、写真週刊誌に散々狙われてきたので、他人を家に入れることを好みませんでした。ですから、介護も子育てもワンオペ状態でしたね。QVCの出演日も、翌日のタオルや着替えの用意、家族の食事の支度もあるから、深夜にオンエアを終えると、すぐに帰宅。行きも帰りも自分で車を運転していました。
夫は車椅子生活が長かったので、日常生活でもサポートが必要でした。車椅子の介助というのは、はたで見ている以上に体力も神経も使うものなのですね。押すだけでも力がいるし、男性の体を車いすからソファに移動させるのは、ひと苦労。倒れてくる夫を支えきれず、自分の左足を複雑骨折したこともありました。今でもボルトが入ったままです。素人だから力のかけかたがよくわからなかったんです。介護生活が長引くにつれ、そうした知識やうつのお薬についても、ずいぶん詳しくなりました。
怒涛の日々のなかで、彼がふっと穏やかな表情になるのが、リビングのお気に入りのソファに座って中庭を眺める時間でした。マンションのリビングがガラス張りになっていて、そこから中庭が見えるのですが、夫はそこから外の様子を見るのが好きでした。雨や雪が降る様子を眺めたり、四季の変化を感じたり。春になると草木が芽吹いて太陽の光で葉っぱが輝く様子を、紅葉の季節にはライトアップされた紅葉を一緒によく見たものです。あのときの幸せなひとときは、私にとっていまでも大切な思い出になっています。
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夫・根津甚八さんの介護にまっすぐに向き合った仁香さん。15年の闘病生活でしたが、亡くなる1、2週間前、根津甚八さんは妻の仁香さんに「世話をしてもらってうれしい。女房だから」と告げたそう。その言葉に、仁香さんは涙をこらえながら、深い愛情を感じたそうです。
PROFILE 根津仁香さん
ねづ・じんか。ファッションジュエリープロデューサー。スキンケアアドバイザー。日本プロポーション協会理事日本ケアビューティー協会理事。武蔵野美術大学で空間演出デザインを学んだ後、海外アパレルブランドに就職。2010年、パーソナルセレクトブランド 「Jinka Nezu」を立ち上げ、ブランドプロデューサーとして活動を開始。著者に『根津甚八』(講談社)。
取材・文/西尾英子 写真提供/根津仁香