演じることで嫌いな自分を変えられた

友寄蓮
演劇を始める前の中学校時代

── いじめられていた期間も、学校には通い続けたのでしょうか?

 

友寄さん:うちの両親は仮病を許すようなタイプではなかったため、体調が悪くないのに行きたくないとはなかなか言い出せなかったですね。もちろん本当は心がつらいわけだから休んでよかったのだと思うのですが、子どもが親にそう伝えるのって難しいですよね。なので、本当に体調が悪くなったときを除いては通い続けていましたね。

 

── いじめはいつまで続いたのでしょうか?

 

友寄さん:小学4年生になり、いじめていた子たちとクラスが離れ、おさまりました。校庭でのいじめも、学年が変わったタイミングで各学年が遊んでいいと指定される校庭の位置が変わったため、同じように落ち着きました。

 

私の場合、いじめられていたときに、すごく仲のいい頼れる友だちはいませんでした。なんとなく周りからも避けられているような気がして、遊ぶときは誰かについていくので精いっぱい。少し仲よくなった子がいていじめについて話したことがあったのですが、そのときに「つらいね」と言ってくれて。それでだいぶ心が救われたのを覚えています。でも、その子はその後に転校してしまい、ほかにコミュニケーションを取れるような友だちもできず、結局3年生の間は孤独でしたね。

 

友寄蓮と実母
中学の卒業式。母と

── 先ほどからコミュニケーションが苦手や声が小さいというふうに言われていますが、今の友寄さんのイメージとはだいぶ違いますよね。なにか自分を変えるきっかけなどがあったのでしょうか?

 

友寄さん:小学校時代は、声の小ささやコミュニケーションが苦手な部分は変わりませんでした。実は転機となったのは中学生で演劇部に入ったことだったんです。

 

先輩からの勧誘を断れずにイヤイヤ入部したにも関わらず、そこから演劇に一気にハマっていきました。お芝居中は役を演じることで人と上手にコミュニケーションをとることや、大きな声を自然に出すことができました。私はそれまでは自信のない自分のことが嫌いだったんです。でも、他人を演じることでいろいろなことができるようになり、自信がつき、自分のことがどんどん好きになっていきました。

 

わが家では小さいころからドラマなどをあまり見せてもらえず、『花より男子』のような学園ドラマが存在することを、中学生になるまで知りませんでした。中学生になりドラマで若い世代の人たちがお芝居をする世界があるのだと知り、私もやってみたいと思って。それでもっとお芝居をするために養成所に入りました。演劇に出会えてなかったら、今の私はいなかったと思います。

 

友寄蓮
ミスジャパン2021年東京大会で

── 今、いじめで悩んでいる子も、友寄さんのように自分を変えるきっかけなどが見つかるといいですね。

 

友寄さん:学校だけではなく趣味でもなんでもいいので、自分の居場所を見つけることはとても大切だと思います。

 

いじめはいじめる側が100%悪いです。子どもが自分で環境を変えるのは難しいし、本当に変えるべきなのはいじめられている側ではなく、いじめている側なんですよね。勇気を出して大人にいじめのことを訴えても聞いてくれない、「いじめられる側にも問題がある」なんて言われてしまうと、守ってくれなかったショックでそこから誰にも相談できなくなることもあると思います。

 

だからといって決して自分を責めないでほしい。声を聞いてくれる大人は絶対にいるはず。そんな大人と出会うことで、つらい思いを抱えている子がひとりでも救われるといいなと思います。

 

PROFILE 友寄 蓮さん

ともよせ・れん。1995年生まれ、東京都出身。2010年にデビュー、2011年に白血病と診断され、1年4か月におよぶ入院生活を送る。2013年にタレント活動を再開。2021年に前小金井市長の西岡真一郎と結婚。2児の母。

取材・文/酒井明子 写真提供/友寄 蓮