退院したのにやれることが見つからない日々

── 退院されてからの生活を教えてください。
友寄さん:飲み薬を服用しながら、定期的に病院で診察を受けました。高校卒業と退院が同じ時期だったのですが、進路についてはなにも決まっていなくて。とりあえずバイトをしようと思ったのですが、白血病の治療直後だったので、「なにかあっても責任が取れないから」と全然、受からないんですよね。そんななか、ひとつだけ採用してくれたところがあったのですが、実際に働いてみると、カップひとつ持つことができないほど筋力が落ちていて。リハビリはしていたのに、まだまだ普通に生活をするのは難しかった。結局そのバイトも1日で辞めてしまいました。
それでしばらくは「私にできることなんてないんじゃないか」とふさぎこんでいたのですが、同じような状況で悩んでいる人がほかにもいるではないかと考えるようになり…。それで芸能界の力を借りてそういう人たちのためにもっと発信していこうと考え、退院から半年経ったころから再び芸能界のお仕事を始めました。といっても最初は病気のことを隠していて、出演していたのはグラビアやバラエティでした。
── 病気のことは公表しなかったんですね。
友寄さん:病気で困っている人のために発信したくて始めたものの、バイトの面接のときと同じで、そのことで仕事ができないと思われたらイヤだなと。ただ、白血病の影響で体にアザがつきやすく、水着のときはコンシーラーなどで隠すのが本当に大変で。そのせいで周りからは「DV彼氏とつき合っている」など、あらぬ噂を流されたりもしました。隠すのが難しいと思い始めたころに、お仕事で「病気のことを公表しないか」というお話をいただき、新聞で書いてもらったんです。
売名などと叩かれることもありましたが、そのおかげで白血病をテーマにした舞台のお仕事をいただき、多くの人に病気のことを知ってもらうことができました。闘病中は副作用で髪が抜けてしまったのですが、徐々に生えてきたころに、役作りのためにまた坊主にしなくてはいけないのだけはイヤでしたね(笑)。
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現在も積極的に病気や輸血の大切さを語る友寄さん。自身は100回以上の輸血で命を救われたそうですが、輸血を受けた人は献血ができないため、恩返しができないもどかしさを感じているそう。「ありがとう」という気持ちを伝えるために、献血に関するイベントにも積極的に参加しています。そのようなイベントで知り合ったのが、26歳年上の旦那さまでした。
PROFILE 友寄 蓮さん
ともよせ・れん。1995年生まれ、東京都出身。2010年にデビュー、2011年に白血病と診断され、1年4か月におよぶ入院生活を送る。2013年にタレント活動を再開。2021年に前小金井市長の西岡真一郎と結婚。2児の母。
取材・文/酒井明子 写真提供/友寄 蓮