高校2年生のときに白血病の診断を受けた、タレントの友寄蓮さん。突然高校にも行けなくなり、つらい入院生活は1年4か月にも及びました。(全4回中の1回)
白血病と診断されても実感がわかなかった

── 高校生のときに白血病の診断を受け、長い闘病生活を送られていました。病気になったときは「まさか」という気持ちが大きかったのではないでしょうか?
友寄さん:自分が白血病だなんて、想像すらしていませんでした。高校2年生の夏ごろから体がだるく、発熱をよく引き起こすようになり病院に行ったのですが、最初の診断はただの風邪。薬を服用しましたが微熱や咳が2週間以上続くこともあり、なかなか治りませんでした。当時は夜ふかしをするなど生活が不規則なところもあったので、「きっと自分の生活習慣のせいなのだろう」と。それもあって、具合の悪さをしばらく我慢していました。
そのうち、具合はどんどん悪くなっていきました。息切れがひどく駅の階段を上るのに5分以上かかる、体がつらくて体育の授業に参加できない、あまりに疲れていて1限目から昼休みまでずっと学校の机に突っ伏して寝ていたということもありました。それでも自分の生活習慣が悪かったり、頑張りがたりないだけだと思い、11月下旬ごろまでは再び病院で診てもらおうとは思いませんでした。

── どういう経緯で診断されたのですか?
友寄さん:当時からすでに芸能界で仕事をしていたのですが、ある日現場に行くと、両鼻から鼻血が出て止まらなくなってしまって…。そうしたら現場のスタッフさんたちが「命がいちばん大切だから!」とすぐに病院に連れていってくれたんです。
病院では、私が血液の病気だと医師は疑ったようで、血液検査をされました。それで「すぐに大きな病院へ行ってください」と。母はその時点で血液の悪い病気かもしれないと言われていたそうでパニックになっていたのですが、私はまったくおおごとにとらえていなくて。検査入院だと思い、荷物の準備もほとんどせず、軽い気持ちで病院に行きました。
── 白血病とわかったときはどう感じましたか?
友寄さん:それまでに『世界の中心で、愛をさけぶ』や『恋空』など、白血病をテーマにした映画や漫画作品を見たことがあったので、病気に対するなんとなくの知識やイメージはありました。それでも自分がそんなに重い病気である実感はなかったですね。
というのも、入院した時点で極度の貧血状態だったため、最初に輸血をしてもらったのですが、それですごく体が元気になったんです。だから余計に自分が命の危険のある病気にかかっているとは信じられなかった。検査入院するまではどうして具合が悪いのか原因がわからなかったので、病名がはっきりして、これで治療ができるというホッとした気持ちもあったと思います。
つらいときに母に言ってしまった言葉を後悔

── 闘病生活はどれくらいに及んだのでしょうか?
友寄さん:2011年の11月末に入院して治療をスタートし、退院は2013年の3月だったので、トータル1年4か月の入院生活でした。小児科に入院したのですが、抗がん剤投与や化学療法の治療計画が決まっていて、私の場合は投薬の効果があったため、比較的スケジュール通りに進みました。
治療期間中はずっと入院が必要だったため、もちろん高校には通えなくなりました。課題をやることで卒業させてもらえることになりましたが、薬の副作用で起きるのもしんどい日ばかりで、なかなか勉強はできなかったですね。それでもなんとか卒業はさせてもらえました。
── 怖かったこと、つらかったこともたくさんあったのでは?
友寄さん:学校の友だちが病気のことを知ってメールをくれたのですが、なかには「白血病ってヤバいんじゃないの」とか「こんな症状らしいけど平気なの?」という内容もありました。悪気がないのはわかっていますが、そういうことを言われるのはつらかったです。結局、友達からのメールには返信できずに当時は疎遠になってしまいました。
また、ネットで白血病について、つい検索をしてしまうんですね。治療法について調べたりするなかで何が正しいのがよくわからなくなって、気持ちが不安定になりました。そのときに担当医に言われた「目の前にいる私を信じなさい」という言葉に救われましたね。それで余計なことを考えたり、ネットで検索することはやめました。

あとは抗がん剤の副作用で口の中いっぱいに口内炎ができ、口の中が腫れ上がって膿が出続けていた時期がありました。話すことができず、横になると膿が喉につまるのでうたたねしかできない。意識はあるけれど考えることはできず、ただ生かされているだけ。自分の生きる理由はなんだろうと思いましたね。
そのころにあまりのつらさから母に「どうして病気になる体に産んだんだ」と言ってしまったことがありました。母は涙をこらえて我慢していましたが、いちばん言ってはいけないことを言ってしまったと思っています。
── とてもつらい闘病生活だったんですね。
友寄さん:そうですね。でも、そういうなかでも前向きになれた出来事があって。入院中に同じ病室の年下の女の子と友だちになりました。その子とよく病気について話をしていたのですが、彼女があるとき「病気になったのが家族じゃなくて自分でよかった」と言ったんです。こんなにつらい治療を家族がするのはつらいから、自分でよかったと。それを聞いて私もハッとしたというか、彼女ががんばっていることをすごく感じました。それまでは治療に対して後ろ向きの気持ちもあったのですが、彼女の言葉で前向きに取り組もうと思えましたね。