東大合格で守り通したキャラからやっと解放

藤本淳史
お仕事でJAXAへ

── 勉強漬けの学校生活だったようですが、部活はされていなかったのでしょうか?

 

藤本さん:小4から中1までは陸上、中2は剣道、中3は野球と、いろいろな部活を経験しました。もともと、プロ野球選手に憧れがあり野球をやりたかったのですが、道具をそろえるのにお金がかかるので、靴さえ買えばなんとかなると思って陸上部に入りました。中学から通い始めた塾と陸上部の練習が被ったとき、顧問に「塾なんかやめてしまえ」と言われて即退部。顧問は焦っていましたね。次は剣道を始めました。当時部員が4人しかおらず、入部の時点で団体戦のレギュラーが確定していたからです。最後にどうしても野球に挑戦してみたくて中3の4月から野球部に入部しました。夏の大会に負けて引退になったので、プロ野球選手の夢もそこで断念。そこからは受験勉強の日々でした。

 

高校でも何か運動部に入りたかったんですが、特待生は勉強に専念するため運動部への入部が禁止。入学時に誓約書を書かされるほどの徹底ぶりでした。ただ、学校まで自転車で毎日40分かかる坂道を上って通っていたので、それだけで運動部並みに体は動かしていたと思います。

 

── 勉強以外で受験に影響を与えたものはありましたか?

 

藤本さん:僕はRPGなどのゲームが好きで、小さいころからよくやっていました。当時はネットなどがなかったので、攻略本を買って読みながらクリアを目指していたのですが、それが参考書で勉強している感覚と近かったのかもしれません。ゲーム内の「呪文」が数学で言う「公式」にあたる感じで、覚えると強い敵、つまり難しい問題を倒せるといった感じです。

 

── 東京大学に受かったときの感想を教えてください。

 

藤本さん:受かった喜びもありましたが、むしろほっとした気持ちが強かったです。高校は「1浪や2浪ぐらいしても、第一志望に行ければ問題ない」という方針で、自分もそう考えていたので、1回目で受かってラッキーでした。落ちた場合に備えて後期試験用の参考書も買っていましたが、まだ合否がわからない段階で対策する気にはまったくなれず、結局一度も開かずに終わりました。

 

 

合格を伝えると父親からは「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えられた藤本さん。しかし、大学卒業後は、父が反対する道を芸人の道を歩むことになり、一時は「勘当」されたこともあったそうです。

 

 

PROFILE 藤本淳史さん ふじもと・あつし。1984年生まれ、京都府出身。東京大学卒業後にNSC吉本総合芸能学院に入学。コンビ「田畑藤本」を結成したが、2020年に解散。現在はピン芸人として活躍。大人になってからADHDと診断される。