合格者は3人「うれしすぎて受話器を投げた」

── 当時のアナウンサーの就活はどのようなものだったのでしょうか?さまざまなテレビ局がありますが小倉さんが行きたい局はあったのですか?
小倉さん:私たちのころは、他局に先駆けて東京のキー局、続いて系列局から採用試験が始まっていきました。それと同じくNHKが始まる感じで。どこの放送局でもいいから行きたいと思っていましたが、行ったことがない土地でアナウンサーができるのかすごく不安でした。系列局へ行った先輩からは「わが町のことを最優先に伝えることが責務である」と聞き、自分にはできないかもとキー局中心の就活を考えました。
何度も自分に「どこに入りたいの?」と問いかけて、「ずっと観ている番組がある、もう一度観たい番組がある、聞きたいラジオがある」という決め手になる理由が揃っていたのがTBSでした。ただ、じっくりと考えているうちに、東京のキー局の試験が始まってしまい、気がついたらテレビ朝日は早期選考がもう始まっていて出遅れたんですよ。慌ててそれ以外で受付期間中だったTBSと日テレとフジテレビにエントリーをして、無事書類通過しました。
── アナウンサーの入社試験はどのようなものだったのですか?
小倉さん:TBSでは3、4日間拘束される研修があって、毎日通っていろんな研修を受けます。それが終わった後に、さらにふるいにかけられて。最終的に人事面接を経て役員面接という流れでした。とにかく研修は苦しくて、このままではまずいなって思うことばかり。ライバルはみんなきれいですし、英語も堪能。「もうアナウンサーですよね?」っていうくらい完璧な人ばかり。私が出願しそびれたテレ朝を順調に進んでいる方もいました。研修中は女子と仲良くなってしまうと、ライバルを見て自信をなくし、苦しくなるだろうと思って、男性とばかりいました。同期の安住紳一郎とか、日テレに行った長谷川憲司くん、テレ朝に行った勝田和宏くんもいました。
── そこに残る人はすでに他局に受かる実力を持っている方ばかりですね。その年はTBSには何人合格したのですか?
小倉さん:そのときは私と安住紳一郎と伊藤隆太の3人、女性は私1人でした。内定の連絡を家の電話で受けたとき、うれしすぎて子機の受話器を思わず投げました(笑)。そのときは「誰かが内定を蹴ったから入れたのかしら?」なんて思ったりするほど驚きました。そして、私のアナウンサー人生はスタートしました。