新人時代の大失敗「瞬きするたびに目元に日本列島が…」

小倉弘子
番組『おはようクジラ』MC時代。大役にワクワクしつつ、深夜からの出社に緊張の毎日!

──今では安定感のある小倉さんでも駆け出しのころは失敗などもあったのでしょうか?

 

小倉さん:もちろんありました。アナウンサーは表に出る仕事なので、失敗も表ですることになります。精神面でも体力面でも強さが必要な仕事ですし、失敗してもどう乗り越えて次に進むか、切り替えが大事だということも学びました。

 

新人のころ、『お天気クジラ』という早朝番組を気象予報士の森さんと2人でやっていたのですが、クロマキーという背景が緑色のものの前でしゃべるんですね。テレビを見ている方はその緑の部分にお天気の映像が映し出されたものをご覧になっているわけなのですが、ある日、自分でメイクをして爽やかにピアスもアイシャドウも緑にしたんですよ。そしたらクロマキーの緑と同化してしまったんです。

 

テレビをご覧になっている方からは、私がまばたきするたびに目元に青空とか日本列島が映っていたんです。裏でそれを見ていたメイクさんがスタジオに飛んできて「小倉ちゃん!!ダメ!」って口パクで何か言いながら手では✕サインを出していて。「なんだろう?」って思っていたら、CMに入った途端「ピアスはずして!」って、慌てて緑のピアスを外し、アイメイクを落として整えてもらう事件がありました(笑)。

 

── 27年勤めたTBSを退社なさったばかりの小倉さんですが、率直な今のお気持ちはいかがでしょうか?

 

小倉さん:27年が長かったのか短かったのかわからないのですが、放送を取り巻く状況は変わりましたし、女性アナウンサーの立場というのも本当に変わったと思います。そして今、私が受けていたら受からなかったのではと思うこともあります。求められている根本は変わってないと思いますが、受けに来る方も変化してきているように感じます。話せる言語が日本語だけではない人やメディア経験された方とかも多いですし、即戦力が求められるのかなと。とはいえ、放送局は育てる力もあると思うんです。だから「われこそは!」という思いの方はぜひトライして欲しいですね。

 

 

厳しい就職試験を勝ち抜き、TBSでアナウンサーとして27年間勤めた小倉弘子さん。人生100年時代に「このままでいいのか?」と自分に問いかけた結果、50歳の節目を迎える2024年末に退社を決断しました。

 

PROFILE 小倉弘子さん

おぐら・ひろこ。元TBSアナウンサー。東京都出身。1974年9月4日生まれ。1997年にTBS入社。『お天気クジラ』『おはようクジラ』『はなまるマーケット』『ひるおび!』『筑紫哲也 NEWS23』などに出演。ラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』の火曜パートナーでも活躍。TBS最後の日2024年大晦日の放送も務めた。同期は安住紳一郎アナ。プラベートでは、夫は元サッカー選手でスポーツキャスターの水内猛さん。高2、小6、小1の3児のママ。

取材・文/加藤文惠 写真提供/小倉弘子