2024年12月末に27年勤めたTBSを退社したアナウンサーの小倉弘子さん。小学2年生で「オレたちひょうきん族」を観てアナウンサーの仕事に憧れ続けてきた思いが、目指すべき目標へと変わった瞬間がありました。(全4回中の1回)
小2で観た「オレたちひょうきん族」がきっかけで

── TBSで27年間にわたってアナウンサーとして大活躍されました。アナウンサーには小さいころからなりたいと思っていたのでしょうか。
小倉さん:アナウンサーという仕事を意識したのは小学2年生のとき。いつも観ていた『8時だヨ!全員集合』の放送が終了。わが家では、土曜日だけ夜ふかししてもいいルールだったので、かわりに絶対何か観たいと(笑)。そこで双璧の『オレたちひょうきん族』を観るようになりました。観て驚いたのが、アナウンサーが憧れの存在の人たちと一緒に番組に参加していたんです。「アナウンサーの人ってこんなこともやるんだ」って初めて知りました。朝のニュースでもお天気でもバラエティでもリポートなどでも、よく考えるとアナウンサーという人はたくさんいるなって。そしてどれも自分の興味がわくところにいる存在ということに気づいたんです。
「それでは学生でしかない」の言葉で意識が変わり

── 当時「女子アナブーム」と言われる時代。あこがれの職業としてアナウンサー職を目指す人は多かったと思います。小倉さんも大学在学中からアナウンサーへの道を徐々に、現実的なものとして意識されていったのでしょうか。
小倉さん:そうですね。当時、大学に放送研究会があったので入学後に見学に行ったら、アナウンサーを目指している見た目も華やかな人たちがたくさんいて。そのキラキラ感に圧倒され、想像していた世界との違いに「これはまずいな」と思いました。アルバイトしながら、アナウンサーへの道を考えあぐねていたら、最初の1年があっという間に過ぎてしまったんです。
2年生になったある日、就職課を通ると「アナウンサーを目指す人へ」という、アナウンススクールの生徒募集のポスターが壁に貼られていました。「どんな人がアナウンサーになりたいのかな」「どんな努力をしているのかな」と気になって通うことに。本当は3年生対象の3か月コースだったのですが、「2年生でも参加していいですか?」と電話で問い合わせたら快諾いただけたので、アルバイトで貯めた3万円を支払い、参加することにしたんです。
当日、GパンとTシャツ姿で参加した私に「あなた、スーツは持ってますか?お化粧もしたことなさそうだし。今ここに来ている人の服装を見ればわかると思うけど、局のアナウンサーになりたいと思うなら身だしなみもトレーニングしたほうがいい」と先生からさっそく指摘を受けました。「乳液と化粧水どっちが先だっけ?」というレベルの私は化粧には本当に疎かったので、自分の感覚のズレに気づかされましたね(笑)。
ある日「TBSのOBの方がいらっしゃるから会ってみますか?」と言われ、お話を伺いに行ったんです。その方にも「アナウンサーをやりたい気持ちはあるんでしょうけど、君みたいな学生気分の人はダメ」といきなりダメだしを受けました。まさに学生気分の私は「会ってみますかと言われたから会いに行ったのにひどい」という感覚しかなかったんですけど、思いきって「どうしてダメなんでしょうか?」と聞いてみたんです。すると「話している内容や話し方が『学生』でしかない。ただテレビに出たいのであれば目指すのは『タレント』です。アナウンサーは局の社員になることなのだから就職活動なんですよ」と。基本的なことですが「ハッ」としましたね。そんな意識改革から就活は始まりました。
── 具体的にどんなことをなさったのですか?
小倉さん:とにかく社会性がなく、時事問題や一般的なことがわからなかったので、毎日、新聞を読むことから始めました。テレビ局の入社試験を受けるわけですから、それぞれの局が同じニュースをどう報道しているのか、視点や報じ方の違いを徹底的に見比べ、聞き比べました。
ラジオでも、毎日『森本毅郎・スタンバイ!』という番組を聞いていました。「聞く朝刊」と言われている番組で、その日の朝刊を読み比べてくれる内容だったので、とても勉強になりました。うちは毎日新聞を取っていたのですが、朝それを持って家を出ると親が読めないと怒るので、前日の新聞を読みながら通学するといった生活を続けました。