島根県の子どもたちと歌った『生きて』から起きた奇跡

── コロナ禍に発信された『生きて』には、木山さんの深い想いが込められていたのですね。

 

木山さん:島根県の子どもたちと『生きて』を大合唱したこともあります。もともと島根県奥出雲町の高尾小学校に講演に行く予定だったのが、コロナ禍で中止になってしまって。高尾小学校は今年6月に廃校になる、全校生徒6名の学校です。中止が決まったときにオンラインでみんなと話をしたんですが、そのときに僕が作った『生きて』をみんなにも歌ってほしいと伝えたんですね。そしたら、同じ奥出雲町の鳥上小学校の子どもたちと、横田高校の生徒ともつながって、22名みんなでの合唱が実現しました。

 

島根県の子どもたちと木山さんの『生きて』を合唱

── 東京にいる木山さんと、島根県の子どもたちが一緒に歌ったんですね!

 

木山さん:はい。一人ひとり自宅で自分の歌をスマホで録画して、その動画を僕に送ってもらって。それを編集して、みんなで歌っている動画を作りました。

 

こんなふうにコロナ禍で子どもたちとつながっていくなかで感じたのは、「子どものほうが大人よりも強い」ということ。大人は予定外のことが起きるとあたふたしてしまうけれど(笑)、子どもたちはコロナ禍で卒業式や入学式がなくなっても、自分で考え、自分なりの楽しみを見出して、自宅で元気に過ごそうとしていたんです。

 

木山裕策と島根県の子どもたち
コロナ禍の後、木山さんは島根県の子どもたちに会いに行った

当時、子どもたちとは直接会うことはできなかったけれど、いろんな人たちとネットでつながっていきました。音楽の力を信じて、種まきをしていったんです。お金にはならないけれど、「生きることが大変な時代に、音楽ができることは何なんだろう」って、たくさんの人とつながって考え、歌を発信しました。

 

── 音楽で多くの人とつながったんですね。

 

木山さん:あと、独立とコロナ禍の報道が同時に出た翌日に、キングレコードさんから「木山さん、今時間あるでしょ?」と連絡をいただいたことも大きかったですね(笑)。「こんな時代だからこそ、音楽で人の心を温められる企画を一緒にやりましょう」って声をかけていただいたんです。そこからコロナ禍にアルバムを3枚リリースさせてもらいました。

 

コロナ禍の1〜2年のあいだに蒔いた種から、2023年ごろから急に芽が出始めて、今のいろいろな活動につながっているのを感じています。自分の思いを口に出すことで、いろんな人とつながることができることを実感していますね。

 

甲状腺がんになったときも、当時は「どうしよう」と絶望したけれど、自分のやりたいことと向きあって歩き出せたことで歌手になれたし、コロナ禍が始まってからも諦めずに人と話すことを積み重ねたことで、人と思いがつながっていくことを体感できました。人生って大変なことが突然起こるけれど、おもしろいなって思います。