バラエティ番組『千鳥の鬼レンチャン』に出演、「細魚(ほそぎょ)」の愛称で親しまれ、老若男女から人気の歌手・木山裕策さん。今でこそ順調な歌手人生を歩んでいますが、2020年に独立した際は、コロナ禍と重なって仕事がゼロに。あまりに悲惨な状況に「今度こそ終わった」と観念したそうです。(全4回中の3回)
39歳で歌手デビューも会社員を続け、50歳で独立した理由
── 2008年に歌手デビュー後、2020年に独立されるまでの12年、会社員も続けられていたそうですね。歌手生活に専念するきっかけは何だったのでしょう?
木山さん:理由のひとつは、「50代はやりたいことに挑戦したい」という思いが強くなったことです。50歳で退職するまでは家族の生活を守るために会社員生活を中心に過ごしていたので、歌手の仕事は基本的に土日のみでした。デビュー曲の『home(ホーム)』がヒットしたのは本当にありがたかったけれど、ずっと自分の曲を作りたいという思いもあって。でも独立するまでは、いただいた仕事をやりきるだけで精一杯でした。
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僕にとって、50歳は大きな節目でした。元気だし、大きな声で歌える。そんな今の自分ならいろいろな挑戦ができるかもしれないと思ったんです。「歌中心の生活に切り替える最後のチャンスが50歳かもしれない」という気持ちもありましたね。
4人の子のうち3人が無事に成人を迎えたことも大きな理由です。四男は高校3年生になって、大学進学費もめどがたったので、なんとか歌手の仕事だけで生活できるかなと。そう考えて入念に準備をし、2020年に独立しました。
独立した日にコロナ禍の報道が始まり
── いろいろ考え、準備を整えたうえで50歳を迎えて、独立されたのですね。
木山さん:でも、人生ってうまくいかないもので(苦笑)。しっかり準備して独立したはずだったのに、まったく同じタイミングで新型コロナウイルス感染症のニュースが出始めたんです。忘れもしない、Yahoo!ニュースの「木山裕策、事務所を独立」の見出しのすぐ下にコロナのニュースが掲載されていました。あっという間に緊急事態宣言も出され、日本が大変な状況になっていきました。
独立から1年先まで入っていた仕事は、その瞬間、ゼロになりました。本当に人生って何が起こるかわからないですよね。
── コロナ禍はお仕事もなくなって、大変な状況だったのですね。
木山さん:「今度こそ終わったかな」とさすがに落胆しましたね。僕、学生時代から失敗だらけで、そのたびに自分を否定する人生でした。結婚後も、家のローンを組んで1年後に甲状腺がんが見つかって手術して…。でもいつも結局どうにか開き直ってきた。それで、このときもまた開き直ったんです。
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── 開き直ったというのは?
木山さん:「できるところまで頑張ろう」と思ったんです。会社員に戻ることも選択できたけれど、入念に独立の準備をして、子どもたちにも「お父さん、もう一回やりたいことをやる」と話をして納得してもらった手前、「やっぱり会社員に戻るよ」って言うのはイヤだなって。当時は子ども4人のうち2人が私立の大学生で、正直なところ金銭的にはなかなかシビアだったのですが(笑)、とにかくできることをやろうと思いました。
── なにか、挑戦などされたのでしょうか。
木山さん:ご存じのとおり、緊急事態宣言が出て、外出できない、歌も歌えないという状況が続きました。でも、そんなときだからこそ、いろんな人と話をしようと思ったんです。緊急事態宣言が出た4日後から、自宅で簡単な機材を使ってひとりで撮影して、毎日午後5時から、60日間連続でYouTube発信をしました。まずはアカペラで『home』を歌うことから始め、いろいろ思っていることを話したり。
結果的にその発信は、自分の気持ちを整理するためにも役立ったのですが、僕自身にとっては、歌の可能性を感じる時間になりました。コロナ禍の最初のころは、歌の無力さを感じながらの発信になり、日々葛藤していたんです。「こんな大変な状況で歌に何ができるんだ!?」って。何よりも命を優先すべきなか、エンターテイメントの価値が下がっていくようにも感じていました。
── 当時は世界中が混乱していました。
木山さん:命を落とす人も多く、あまりにも信じられない状況が続きましたよね…。でも、発信を続けるなかでいろいろ人たちとつながり、「微々たるものかもしれないけれど、人が心豊かに生きていくために、歌は何か力を持っているんじゃないか?」と感じられるようになりました。その状況下で曲を作ったんです。その中の『生きて』という曲から新しい世界が広がっていったように思います。
── どんな曲なのですか?
木山さん:『生きて』には、文字どおり「なんとか生きのびてほしい」という思いを込めました。僕自身、35歳のこれからというときに甲状腺がんが発覚し、死ぬかもしれないと打ちのめされましたが、その3年後には夢だった歌手になれました。生きてさえいれば、何かいいことが起きるんじゃないかって、ずっと思っています。命さえあれば、なんとか苦しい状況をしのげることができれば、楽しい未来が待っている可能性があるはずです。ちなみに、YouTubeで発信するときには、社会人になったばかりの長男がそばでギターを弾いてくれて。うれしかったですね。