自伝『ホームレス中学生』の大ヒットで印税は2億円とも言われたお笑い芸人・麒麟の田村裕さん。世間から注目を集める一方で、田村さん自身は次第に自分に自信が持てず、何が正解かわからないまま、手探りでもがく日々が続いていました。(全4回中の2回)

仕事が激減し、週8でバスケをする日々

── 田村さんと言えば、2007年に発売した著書『ホームレス中学生』が有名ですよね。本が売れた後はどのような生活をされていたのでしょうか。

 

田村さん:『ホームレス中学生』は200万部売れて、映画化もされました。僕もその間はかなり忙しくて。でも、そのバブルが弾けたら仕事が急激に減っていったんです。それまでは年に2日くらいしか休みがなかったのに、週2~3日休みがある。とにかく時間を持て余すようになって、暇だからバスケットボールの試合を観に行ったりしていたら、だんだんバスケに夢中になっていったんです。

 

── それまでも、バスケットボールはされていたのでしょうか。

 

田村さん:小学生のころから高校まで、ずっとバスケをしていました。もともとバスケが大好きだったというのもあります。最初は試合の観戦をしていたんですけど、暇だから自分でプレーする時間も増えていって。当時は週8でバスケをしていましたね(笑)。それで、バスケに接する時間が長くなればなるほど、バスケの情報がどんどん入ってくるんです。「今度、こんな大会があるよ」とか。「バスケ選手と一緒にご飯に行くけど、一緒に来る?」とか。選手とも繋がれるようになり、プライベートでの交流も増えていきました。当時はほぼバスケ漬けの生活でした。

 

田村裕
学生時代からずっとバスケをしてきた田村裕さん

── お仕事はどうされていたんでしょうか。

 

田村さん:僕の仕事がなくなるいっぽうで、相方の川島くんが売れていって。コンビではなく、ひとりでロケにいくような仕事が多くなりました。ただ、仕事自体は減っているので、自分に対して自信が持てず、何が正解かわからないまま、当時は手探り状態でした。

 

── 大変な状況だったんですね。

 

田村さん:すべてが手探りだから、対人関係もどんどんうまくいかなくなっていましたね。まわりの人ともうまくコミュニケーションがとれなくて。ディレクターさんが撮りたいと思っている映像も、把握できていなかったと思います。これでいいのかわからない、でも聞けないという状況でずっと進んでいて。そんな状態だから、仕事はますます先細っていきました。

 

── そのころからバスケをお仕事にされたのでしょうか。

 

田村さん:仕事が減ってたんで、仕事を取りに行かなきゃいけない状況でしたし、大好きなバスケを仕事にしたいとも思っていたんです。でも、当時はバスケの国内リーグ「Bリーグ」も発足していなくて、現在のような人気はまだなくて。仕事につなげるのは難しかったです。先輩や芸人仲間からも「芸能界で仕事に繋げたいんやったら、サッカーか野球か競馬のどれかをやるのがええんちゃうか」ってアドバイスをもらっていました。

 

── 実際にサッカーや野球のお仕事をされたのでしょうか?

 

田村さん:サッカーも野球も好きだけど、そのころはもう、バスケの方がはるかに好きになっていて。バスケの仕事がしたいっていう気持ちになっていました。僕、単純なんで。バスケほど熱狂していないスポーツを仕事にはできないと思ったんです。仕事にならないかもしれないけど、バスケの仕事がしたい。大好きなバスケと心中しようという気持ちでした。