ニュースでよくみかける高齢者による自動車事故。当人が知らないうちに運転能力がなくなっていることもあります。80代なかばの母親による不安な運転に気づいたダイアモンド☆ユカイさんは、母を説得することに。愛情あふれる最後の親子ゲンカ、結末はいかに?(全5回中の1回)

「女性に厳しい時代」父亡き後もお袋は働き続けた

── 育児に積極的な3児のパパとして知られるダイアモンド☆ユカイさん。ご自身が親としてお子さんたちの成長を見守るなかで、改めてご両親に対して思うことはありますか?

 

ユカイさん:自分はロックをやったり、本当に放蕩(ほうとう)息子だったので、親にはいっぱい迷惑をかけてきたと思います。ひとり息子だったからすごくかわいいがってくれたし、甘やかされて育ってきました。デビューした後も、ちょっと自分がうわさ話になるたびに、心配でしょうがなかったみたい。

 

うちの親は共働きで、両親ともに公務員。親父は自分が22歳のときに亡くなったけど、お袋はそのまま定年まで働き続けています。でも、いろいろあったみたいですよ。当時は共働きが少なかった時代。女性がお茶を汲むのは当たり前で、女性というだけで風当たりも相当強かったはず。それでもずっと働き続けて、埼玉の役所で最初の女性課長になっています。

 

ダイアモンド☆ユカイと実母
ダイアモンド☆ユカイさんとお母さんのツーショット

── 働く女性にとっては苦労が多そうな時代です。

 

ユカイさん:お袋はもともと田舎の農家育ちで。子どものころ、お袋の実家に遊びに行くと、もう田んぼしかないような場所でした。きょうだいも多くて、小学校しか出なかったけれど、公務員試験を受けて公務員になった。本当に強い人だった。定年退職してからは、家庭菜園をやるなど、ひとりで悠々自適に過ごしていました。友達もいっぱいいて、海外旅行に行ったり、すごく楽しんでましたね。鎌倉彫りにも凝っていて、いまも家にいっぱいありますよ。

 

運動神経がよくて、卓球なんてやると勝てなかったくらい。ずっと公務員で働いていたから蓄えもあったし、それで旅行に連れていってくれたりもして。晩年になっても、自分がめんどうを見るのではなく、むしろめんどうを見てもらっていた。自分にとっては誰より偉大な人だった。本当に鉄の女って感じだったよね。

80代半ばから「あれっ」と思うことが増えて

── 素敵なお母さんですね。

 

ユカイさん:なんでも自分でできちゃうし、行動力がすごかった。歳を重ねてもすごく元気で、80歳くらいまではもうピンピンしていましたね。ただ、80代半ばにさしかかってきたころ、何回も同じ話をしていたり、「あれっ」と思うことが出てきて。あるとき実家に行ったら車がヘコんでいて、「どうしたの?」って聞いたら、「ぶつけられた」って言うんです。そのときは、そうか、それはしょうがないなと思っていたけれど。違う日に実家へ行くと、車の別の場所がヘコんでるじゃないですか。当人は認めようとしないけど、近所の人に話を聞くと、どうやら自分でぶつけたらしい。そのあたりから「そろそろ免許返納したら?」って、話をするようになりました。

 

でも、やっぱり聞いてくれないんだよね。しかもめちゃくちゃ強い。「誰に口を聞いてるの、さんざんめんどう見たでしょ。私にそんな口を聞けるの、あんた!」って、まったく子ども扱いです。

 

ダイアモンド☆ユカイ
若かりしころのダイアモンド☆ユカイさん

── それはなかなか手強そうです。

 

ユカイさん:うちの実家は駅まで歩いても15分ほどで、そこまで田舎じゃなかったから、車に乗らなくても生活はできる。だけど車に慣れちゃって、どこでも車で行っていたから気持ちはわかるんです。それにもともとお袋は運転が上手くて、自分なんかよりもうまい。だから自信があったのでしょう。

 

でも、そのころ少しずつお年寄りによる事故のニュースが取りざたされるようになってきて、それを見ていたら心配になってきた。事故を起こして人さまを傷つけたりしたら、もう大変なことになりますから。だけど、お袋は自分が何を言っても聞こうとしない。最終的にはもうこれはダマすしかない、そうでもしなきゃムリだと思って、「安く直せるところを知ってるから」と、ヘコんだ車を持ってっちゃった。もちろん修理をするつもりはありません。